『最新自動車業界の動向としくみがよ~くわかる本』

を、読みました。

いわゆる就活生向けの業界研究本ですが、内容にかなりムラがあるもののざっと概観するにはこのシリーズはいい本です。あくまで入門です。それにしてももうここに載っている内容すらはやくも古くなっていて、2011年発行で、実はこれの新しい版も出ているのですがだいぶ前に勉強用に買っていたものの再読なのでやむなし。


マイケル・アブラショフ『アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」のつくり方』

を、読みました。

某ブログ界隈で推奨されていたのですが、単純に、読み物としてまず面白いです。海軍の内側ってこうなってるんだ、そしてそれはぼくたちが日々過ごしている会社という組織と大して変わらないんだ、という発見もあり、そしてそこから、自らの立場を「艦長」とオーバーラップさせながら自分だったらこういう時どうするのか? を考えながら読み進めることができました。

ティップスやノウハウではなくて、組織というものに対する根本的な考え方について、個々のエピソードが能弁に語ってくれているので、たとえば「明日の会議からこれを取り入れよう」というものではないのですが、「あるべき姿」からブレイクダウンされた個々人の動き方・働き方というのを自らデザインしていくことが、管理職の自分としてはもっともっと考えて、働きかけていかなければならないのだなと、感じる一冊。


筑摩全集類聚『太宰治全集』別巻

を、読みました。

全集の最後を飾るのは、奥野健男の編集による太宰関連の重要論文や交友の記録のアンソロジー。井伏の「解説」は、本当に、記録をつけていたからだとは言え、情景が目に浮かぶようで、壇の変な小説仕立てよりもずっとなにかこの人の太宰に対する思いみたいなものが伝わってきた。そりゃあ、師匠と悪友じゃ違うのかもしれないけど。ただ、無頼派とくくられるよりもずっと以前から太宰には同郷の友達がたくさんいて、彼らの追悼文など読んでいると、「ああ、本当に太宰は死んでしまったんだな」とずいぶん昔の出来事のはずなのに、惜しむ気持ちが湧いてきます。あの当時、ごく身近にいた人間にとって、太宰に自殺で死なれるというのがどれくらい口惜しいことだったのかが、もちろんそれは今だって事情は変わりませんが、伝わってくる文章がたくさん並んでいます。一次資料としての全集の役割としてはこれで充分でしょう。今官一の「碧落の碑」は、本当にいい文章。


そして明日から新年度

桜も咲きましたが、今この瞬間も全国の新入社員がドキドキしながら明日を迎えようとしているのかと思うと、感慨深いものがあります。実はぼく自身も明日から新しい部署での仕事になります。みんなが「ワクワク」しながら、誰かに急かされて萎縮してしまうのではなく、のびのびと仕事ができる新しい年度にしたいなあ。

このブログも、場所は変えながらですが14年目に入ろうとしています。本当に、学生時代の後半から書き始めたものなので、最初の頃の恥ずかしい記述などもたくさん残っていますが、変わらざるをえないものは変わっいくのだし、変えられないものはどんなに頑張っても変わらないのだろうから、いい意味での諦めや達観も強みにしながら、けれど、新しい自分があるはずだという期待も捨てずに、相変わらず、扉を叩いていこう。


筑摩全集類聚『太宰治全集』12

「太宰治」以前の習作編。本当に、作家というのは、いつから作家になるか? この習作自体に収められたのは、自らの出自や非合法運動などに取材した作品が多いものの、それらはその後の、プロの作家となった後に同じモチーフが描かれるかと言えばそんなことはないし、こんな三人称の小説を「太宰治」以前の津島修治が書いていたということがやはり驚き。そこには明確な断絶があるように思えます。幾つかの作品はもちろん、「葉」などで引用されますが、それもおそらくは太宰治の「思い出」的なフィルターをくぐり抜けられたもののみ。だって、太宰がプロレタリア作家であったならば、まだ納得がいくもののみここにはあるのです。「太宰治」がいかにして生まれたのか? 頭の悪いぼくには、この習作集を読んでも、なかなか水脈を見つけることができなかった。


佐々木閑『大乗仏教』(NHK100分de名著)

を、読みました。

講師と青年の対話による形式はどこか『嫌われる勇気』風ではありますが、非常にわかりやすい本でした。大乗仏教のタイトルが付いていますが、基本的に「釈迦の仏教」からの派生についての解説をしてくれている本ですので、日本の仏教の来歴をコンパクトに知ることができ、仏教の概観もざっくりと把握できるなかなか素晴らしい本です。もちろん「お勉強」を一方踏み出すためにはここから経典という原点へ入り込んで行くことが必要なのでしょうが、ひとまずはこのくらいにしておきましょう。なんといっても、巻末の以下の言を読むと、筆者への信頼感がぐっと増しました。盲信への継承。

心の底では信じていないことを仏教の教えだからと言って信じているふりをしたり、あるいは自分の世界観に合わせるために、たとえば「釈迦は本当は業も輪廻も説かなかったのだ」というように歴史の方をねじ曲げようとする人を見かけますが、私にはそんな器用なことはできません。やはり、自分が持っている世界観に沿って正直に仏教と向き合うのが一番納得のいく生き方だと思います。


玄侑宗久『現代語訳 般若心経』

を、読みました。

般若心経に入門するにあたっていきなり岩波文庫から入ろうかどうか悩んだのですが、ここは素人たることを自覚して……。結果として、非常に分かりやすかったです。そしてその「わかりやすさ」に溺れないようにすることをも、本書は警告してくれるところが素晴らしい。玄侑宗久は、芥川賞作家であることしか知らず、作品は一つも読んだことはないのですが仏教的な検知から小説を書いているのでしょうか。本書は、単なる般若心経の私訳にとどまらず、現代科学の知見も取り入れながら、そのものの見方・考え方が奇しくも仏教的な世界観と通ずることを教えてくれます。もちろん、本書を読んだからといって、悟りを開けるとか胸のつっかえが降りるとか、そういう安易な自己啓発の効能はないのですが、もしそういうことへの期待に答えるものがあるとすれば、意味を超えて般若心経を暗証するところから始めよ、という著者の一つのこだわりがそれに当たるのでしょう。きっと齋藤孝も同じことを言っているはず……。


松尾剛次『葬式仏教の誕生』

を、読みました。

習俗を説明する時に「昔からこう」と言われれば、やはりその「昔」というのがいつからなのかというのは基本的に確認すべきことなんでしょう。高々、と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、仏式の葬儀が火葬を伴ってなされるようになったのは中世からであり、ましてや檀家制度というのは、いわば江戸幕府の戸籍的な政策としっかり癒着していたということであれば、現在の葬儀のあり方はもっと自由であっていいということの一つの証左になるのだと、よく理解できる内容でした。まあ、「革命」というほどのものなのかはよくわかりませんが。ぼく自身は、仏教の各宗派の細かな内容についてはまだまだ無知なので、この部分はこれから学んでいきたいと思っています。

平凡社新書って初めて買いましたが、葬儀関係のラインナップもいくつかあるようです。


井上理津子『葬送の仕事師たち』

を、読みました。

おそらくは、人の死後に関わる職業の人達のルポとしては唯一であり、かつまた無二のものではないかと思った。面白い、という感想が不適切であるとしたら、奥深い、と言ってもいいでしょう。知る、というのは大事なことだと思いました。もちろん世の中には悪徳業者もいるのでしょうし、志の低い人達も中にはいるのかもしれません。でも、それはどこだって同じなんでしょう。葬儀社や火葬場で働く人を一段下に見る必要はないし、かと言って特別高貴な仕事として「祭壇」に祀ることもまた別の誤解を生むのでしょう。職業に貴賎はありません。どんな仕事でも、そこに向かう真摯な動機がある限りその仕事は尊いのだし、一つ一つがやはり、自分の日常に跳ね返ってくる感じがしました。