たぶん、ぼくはなるべく正直になるように自分に言い聞かせたことと思う。けれど、実際のところここに書くことができなかったこともたくさんある。それらはあまりにも個人的なことだからだ。もちろんこのエッセイには可能な限り個人的なことを書き込んだ。プライバシーに関してなるべく配慮はしたけれど、自分に関してはもはやそこに住んでもいなければ住んでいた痕跡もほとんど消えてしまっているので、昔話として隠すことなく書き込んだつもりだ。しかし、それでもなお、書けないエピソードというものはある。つまり、30年以上経っても消えない生々しさというのは、実際のところあり得る。
8月は、ぼくの勤め先はいくつかの有給奨励日を設けていて、そのたびにぼくは中央線に飛び乗って昭島から武蔵村山、あるいは南の多摩川近辺までの土地を汗だくになりながら歩き回った。この小さな本はもう既に出来上がっているというのに、なおまだ見落としている地図の空白がないか、その確認をするかのようにぼくは歩き回った。もう何年か前にも同じような試みをしようとしたこともあったのだが、夏の暑さに負けてとても二万歩に及ぶ距離を踏破できると思えず、駅前で涼んで帰ってきてしまったこともあった。けれど、今回はすこし、いままでよりも切迫したものがあった。いよいよもう、この先年を取って体力が落ちていったときに、もう自分の生まれ育った土地を自由に見てまわることはできないかもしれない──そう思った。ぼくも、四十代半ばに差し掛かろうとしている。
年を取るということはそういうことなのだろうか。エッセイの中にも書いたが、かつては実家に帰りたいなんてことはまったく思わなかった。懐かしいとも思わない。すべてかなぐり捨てて、二度と思い出したくない、二度とあの場所には戻るまいと思っていた。それが若さというものだったのだろうか。正直に言うと、自分の中にある正確な動機というのはいまを持ってもわからない。あの場所に行ったところで、あの場所にかつていたもの、人はいまでももういないというのに。同級生の家は、あるものは全然違う表札に架け替えられていたし、遊びに行った家もまったく別の家に建て替えられていたりした。けれど、大きな農家であればときどき懐かしい苗字がそのままになっているところもあった。でも、かつての同級生がそこにいるわけではない。通学路を歩いているのは、いまの子供たちだ。
あるいは、行くたびにGLPに買収された昭和の森ゴルフコースは様変わりしていった。かつてゴルフ場だった場所を東西に貫く新しい道路すら出来上がって開通を待っている。それまで丁字路だったところが十字路にならんとしている。フォレストインも、解体現場を囲う鉄製の高い塀の向こう側にその威容をまだ誇っていた時もあったが、しだいに上から削られ最後にはほとんど更地に近い状態にまで戻された。駅前では開発への反対運動をする市民団体がビラを配っていた。しかしそうした短期間の変化は、もはやぼくには関係の無いことだ。残念ながら。
ぼくはその奥にさらに足を伸ばす。ふと角を曲がった路上に、坂道に、森の姿に、誰もいない公園の砂場に、まだ描き切れない記憶の断片はガラスの粉のようにぼくを刺激した。机に座って文章を書いていた時、それはたぶんエピソード記憶をひたすらうんうんうなって思い起こしては書き綴っていた。自分の頭だけを頼りに机上でつくりあげた思い出話だ。けれど、何回も何回も思い出の土地に足を運ぶなかで、エピソードにも満たない、スナップショットのような光景が、ふとした景色のなかから何枚も思い起こされた。それは仮に書くならば「ここをよく自転車で通った」「親に連れられてここに来たことがある」という、それ以上なんの装飾もできないくらい単純なものだ。そういうスナップショットもまたいまのぼくを作り上げている。
ひとつ補助線になるのは、いま書いたように、「このいま」を作り上げている自分の原点がどこにあるのか、という問いだ。それは「このいま」が揺らいでいるがゆえにいつでも相対的な問いになる。かつてのぼくは、自分の人生において一番負荷がかかっていた時期、それは大学受験と就職活動の時代のことなのだが、その二つを自分の原点と位置付けていた。今は、それは違うと言っていい。むしろ大学受験時代は勉強だけやっていればよかった幸福な時間であったと思っているし、就職活動もそれ自体をなにか自分のターニングポイントとして重視するようなバイアスからは逃れてきている。結局あれも、分かれ道の一つでしかなかっただけだ、と単純に感じるだけだ。もちろん人生を泳いでいく方法論として、その時代に身に付けたものはたくさんあるし、今でもそれらは極めて実利的に役に立っている。人間関係の作り方とか、本の読み方とか。
しかし、受験生だったり就活学生だったりした時代が原点なのだと思っていた時期と今とで一番違うのは自分が年を取ったこと、もっと具体的に言えば子供が生まれたことは、やはり大きいかもしれない。子供を育てるというのは、ある意味で自分の子供時代をいちいち追体験することだ。それは不可避的に、「自分がこの子と同じ年の時は……」というリフレクションを強いられる。だからこそいま、自分自身が子供時代に過ごした土地を原点として位置づけなおそうとしているのかもしれない。それこそが、この小冊子を書くという営為の因果なのかもしれない。はっきりとそう言えるほどの確信は無いのだけど、ぼくを焦らせた原動力の一端としては有力な仮説だろう。
さて、そろそろ長くなりそうなので最初に書いた、あまりに個人的な話について最後に少し触れてこの解題とも言えない解題を締めようかと思う。たとえば次のような写真たちに関するエピソードについては、あまりにも個人的であったり、あまりにも断片的であったため結局採用しなかった。あたらしくこの小冊子を書き直して盛り込み直そうとも思えなかった。自分の思い出を人に読んでもらえる様な形で書いても、それでもなお自分の心の中に隠しておきたいものが、(原点がどうこうとは別にして)本当の思い出なのかもしれない。それは人と最後まで共有されないもの。
もし何億ぶんかの確率でこれを見ているあなたが、同じ記憶をもし共有していたらぜひ教えてほしい。あなたがいまも生きているということをぼくは知りたい。それはもうあと何十年も有効なことではないのだ。いま、このいまでしか間に合わないことなのだ。