『tokyo.sora film book』を読みました。

この映画も本当に何度見返したかわからないくらいなのですが、20代のころはよくいろいろなものに自己投影をしては現実との摩擦をなんとか見えないものにしようと、そういう努力ばかり払っていました。今でもそうかもしれません。でもあるとき、こんなこと──つまりは、自分以外のなにかになろうとあがきつづけることを一生やり続けて死ぬというのは、いったい何なのだろうと思い始めたのが30代。でもやめられなかった。自分が好きになれなかった「あすなろ白書」の誰かみたいに、ひたすら軽々しく生きようとしてみたこともあった。けれど、空っぽな自分に最後は帰ってきてしまう。たとえば夜寝る前のひととき、あるいはひとりで長距離移動をしながら窓の外を見ているとき。そういうのは、けっこう苦しいものだ。自分を引き受けることができないまま大人になるというのは、それこそ自己矛盾で、大人というのはどんなに見にくくてカッコ悪くても自分を引き受けている。そこから逃げ続けるには人の一生は長すぎるし、あるいは短すぎる。

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