小川洋子『完璧な病室』を読みました。

デビュー作を含む短編集です。作品としてはキャリア最初期ということもあり、おそらく作者の宗教的なバックボーンや医局に勤めていたころの経験が色濃く反映されていることを思わせますが、まあそういうことは作品を語る上ではあまり意味のないことなので。

ただデビュー作はその後の作品を読み進めたものとしてはやはり固いというか、偉そうに言えばやや「若書き」の感が否めない。一段落がすごく長いし、「漢語」も頻出する。おそらく医学に関する用語が小説の世界に自然と取り入れられた好例とも読めなくはないのですが。

「冷めない紅茶」がよかった。こういう、ミステリーとは言わないけれど、何か引っかかる謎がそこここに置かれたまま小説が終わる、その居心地の悪さというか、解決されない気持ち悪さというのはこういう小説からしか味わうことができない。

表題作は作者の良く用いるモチーフというか、テーマが貫かれています。特に、「食べる」ことへの醜悪さの表明。内臓とつながっている口腔の内側を人に見せながら有機物をその中へ運ぶことの汚らしさ、決して美しくない「食べる」という人間がそうせざるを得ないようにプログラミングされた悲しさというか。普段ぼくたちは、食堂やレストランや、家庭においても人前で口を開けてものを食べていますが、「そんな恥ずかしい醜悪なことがよく人前でできるな」という感想を持たざるを得ない「世界」があるということを知ってしまうともう戻れなくなる。まあそれは統合失調症の一歩手前なのかもしれな酸いのですが。

全然関係ないですが、むかし「空が灰色だから」というマンガがあって、これにも確か一人で弁当を食べている女の子を見て興奮するという話がありました。人前で隠している「食べる」という行為を見て快楽を得るというのは、小川洋子からもう一歩先を行っているんじゃないかと、いまさらながら思い返します。

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