とにかく一話一話すべてが怖い短編集。言葉に言い表せないような恐怖感や「あれってなんだったんだろう?」と思わせるような出来事が、それこそしっかりと言葉で表現されているのが小川洋子の短編の持ち味でしょう。
「まぶた」も途中までは女子中学生と(本当に冴えない)中年男性の心の交流を描いているようでいて、けっきょく外野からすればそれは単なるパパ活に見えてしまうその悲しさというか。「それはパパ活だ!」と言った者が、「王様は裸だ!」という真実を言い放ったのならともかくも、この場合はどちらが真実なのかわからない。その危うさ、健全な世界と不健全な世界とのあまりにも薄い境界が怖い。それは教会ですらなく、単に一つの出来事を別の角度から見ているだけだったりもする。
「中国野菜の育て方」もとにかく怖い。登場人物が善人なのか悪人なのかもわからない、そしてここで語られる挿話が良い話なのか悪い話なのかもわからない。そのわからなさが、とにかく怖い。善人の何気なく発した一言が、ものすごく残酷なことを言っていることに、主人公は気が付かず、読者だけが気がついているような、そんな感じ。
「バックストローク」も怖い。冒頭で、強制収容所の看守の家族が楽しんだという空っぽのプールが提示される。それだけで怖い。しかし、そのあと語られる主人公の弟の身の上も意味づけの困難さにくらくらする。結局のところ、人間の残酷さと善良さは紙一重ということなのか、弟の栄光の陰にももしかしたら努力ではどうしようもなく散っていった選手がいるのだろうし、栄光と思っていた弟の業績もほんの少しの食い違いで、水泳以外なにもできないごくつぶしに成り下がってしまう、その簡単さが、またこれもものすごく怖い。