小川洋子『余白の愛』を読みました。

耳を病む主人公と、座談会で知り合った速記者、離婚した夫の姉の息子の三人が織り成す人間模様。そしてそれは聴覚に難のある主人公の独白だからこそ七日、霧の向こう側で演じられる劇のようだ。そしてこれは同時に13歳をめぐる物語でもある。

しかしはっきり言って読み解きづらい小説。速記者のイニシャルYはまちがいなく余白──YOHAKUのYだとすれば、彼は最初から最後までマージナルな存在。彼は白い紙にブルーのボールペンを使って主人公の独白を速記していく。本文があってこその余白。彼は他人に牛耳られた「本文」の内容をただ書き写すだけの存在であり、同時にその行いがまぎれもなく「余白」を形成していく。まるでドーナツの穴のような。

物語の後半で、速記事務所は存在しないことが明かされる。しかしそこには速記者の存在の端々が暗示され、またかつて主人公が13歳の時にデートした男の子(とヴァイオリンの少年は同一だと思うのだが、どうだろう?)の、あるいは、ホテルのバルコニーから落下した侯爵の息子の存在──彼もまた13歳だった。

13歳からの10年間、人はどのように生きるのだろう? 耳鳴りのような幕の中で主人公のように離婚まで迎えてることもあるかもしれない。甥のヒロはまさにこれから思春期を迎える。ヒロは特に主人公に性欲を抱くでもなく看病や料理までこなせるスーパー中学生なのだが、いつその殻が破られるのかハラハラしたのだが、最後まで静かな人間だった。いずれにしても主人公とヒロとの合間、あわい、その余白を埋めるように存在していたのがYだったことは間違いないだろう。

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