Mr.Children詩集「優しい歌」を読みました。

ミスチルの数ある歌詞の中でいまだに意味が解らないものが一つだけある。

「テレビゲームに胸の内を明かせば」(「my life」1993年)

という一節だ。歌を聴いているときは、なんか休日に彼氏のうちに遊びに行って二人でマリオカートでもやりながら「好きだよ」とか言っちゃってんのかな、と思ったりもしたんだけどそれにしてもあまりストレートでない表現なのでいまだに引っかかっている。

シーマン説というのがある。むかし、シーマンという人面魚に話しかけて会話するというゲームがあったのだ。プレイヤーの音声をマイクを通してゲームが読み取るというのが画期的だった。シーマンにこっそり好きな子の話をしたりしているのか。しかしシーマンが登場したのは1999年だ。

では、ときメモ説か。画面の向こう側にいる二次元の美少女に恋をする。あるいは「君」が振り向いてくれない代わりに二次元の彼女を代わりに見立てて自分を慰める。そんな情けない「ぼく」のmy life。しかし残念ながらときメモもPCゲームとして発売されたのは1994年。

あとは、ロールプレイングゲームで仲間の名前を好きな子にしちゃう説。このあたりだろうか。。。考えてみるだけで黒歴史というか、なんか考えるこっちまで恥ずかしくなるシチュエーションだが。

だからいずれにしても一人の場面なのだろう。あの子をデートに誘ったけどつれなくて、仕方なく一人でゲームで時間をつぶしている。ゲームの中身はどうでもいい。ただ一人で自分ひとりの時間を過ごさなければならない。あの子はどうしているだろうか、こうしている今も別のだれかと楽しく過ごしているのだろうか・・・そんなつぶやきが口から漏れる。

そういう場面なのだろうか。

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