小川洋子『妊娠カレンダー』を読みました。

芥川賞受賞作を含む3つの短編が入っていますが、いずれも一言で言って、「生理的」な作品集。これは女性のそれではなくて、「生理的に無理」と言うときの「生理的」です。つまり、言葉では説明できない非論理的な因果関係(これ自体が語義矛盾ですが……)であり、身体の本能的な訴えが、いずれもテーマになっています。

もちろんそんなものを「言葉」で構築していることに本当に驚くばかりで、妊娠カレンダーの「毒の盛られたジャム」もそれは最初は言葉でしかないのです。本当に毒が成分として検出されるような、そういうミステリーではない。環境保護団体の主張する輸入グレープフルーツの防腐剤の危険性を耳にしてしまったことと、職場で偶然に廃棄されるグレープフルーツをもらいうけたところから、言葉は現実を侵食し始める。グレープフルーツのジャムを作り、妊娠した姉がそれをおいしそうに食べる。そこに、もしかしたら自分は毒を盛っているのではないかという架空のおとぎ話になってくる。しかし毒は目に見えない。「ないこと」は証明できない。もしかしたら本当に自分は毒を盛ってしまっているかもしれない。このむずがゆさが本当に「生理的」だ。

「ドミトリイ」がとにかく素晴らしい。久しぶりに読んでいてうならせられる短編小説だ。最後の「オチ」はなんとなく想像できたけれど、もしかしたら失踪した学生が天井で死体になっているんじゃないかと「想像」させられる天井の「しみ」が本作では「ジャムの毒」の位置を占める。「先生」に聞かされた失踪学生の話=言葉が、なんの関係もない天井の「しみ」と結びついて主人公をおののかせる。この根拠のない恐怖感が非常に「生理的」だ。「しみ」という正体の分からない、なにかしめったもの、という感じが五感に訴えてくる。この短編は、入寮した「いとこ」がそれまでの不安を払しょくするかの如くハンドボールに精を出して、後半は全く主人公と会えない/会わない、この不在性もまた非常に気味が悪い。夫も遠い外国にいる。もっと言ってしまえば、「先生」の身体的特徴もまた、その原因は全く説明されず、「不在」が最初から当たり前であるかのような道具立てになっているのも憎い。もちろん原因なんて説明して納得することに何の意味もないことは作者は百も承知だ。

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