小川洋子『ブラフマンの埋葬』を読みました。

ブラフマンは主人公の飼うことになった犬の名前。なのでもうタイトルがそのまま小説のネタバレになっている。ブラフマンが死ぬまでの話です。

「ブラフマン」という言葉自体は作中ではサンスクリット語で「謎」と解説されていますが、一般的には(高校の倫理の授業でやった懐かしの)いわゆるウパニシャッド哲学で言う「梵我一如」の対になっている宇宙の方。アートマン=個人とブラフマン=宇宙が同一であるという考え方ですね。

だとすれば、犬のブラフマンがこの小説で為したことは宇宙の原理と言っていいでしょう。一人称小説なのでなかなか気づきにくいですが、主人公は本当にしょうもない人物です。びくびくとして好きな女の子にも声をかけられない。こそこそと犬を飼って、おばあさんに怒られないか立場を越えて恐れている。そんな主人公が、おそらくは恋人の男と別れた件の女の子から誘いを受けてひょこひょことついていくばかりか、車の中で別れた男のかつての逢引の現場について言及しようとするそのとんでもない愚かさ! それを戒めようと犬は死んだとしか読めなかった……。

この女の子も取り立てて魅力的でないところがまた救いがない。自分が轢いた犬の葬式にも出席しない。犬を埋葬した時、「ぼく」はどんな思いだったのだろうか。そこについては全く語られていない。この小説は、ひと夏の動物とのハートフルな触れ合いを描いたものではない。犬の死を涙を流して悼むようなそんな小説ではない。主人公の愚かさを、大いなる宇宙の原理が異界の犬を通じて戒めようとするとんでもないストーリーなのだ。

だからこそ本作は泉鏡花文学賞を受賞したのでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA