よしもとばななについて再び考え始める

故あって、よしもとばななにとって三十代とは何だったか? について考え始めている。

書誌的なことから言うと、まず簡単に手に入るまともな年譜というのが、ない。wikipediaにすらない。
いろいろ検索をすると数年前に雑誌「文學界」で『ジュージュー』が出た際のロングインタビューで年譜が掲載されているらしい。こんなものすぐに確認できない。それから鼎書房から出ている現代女性作家の研究書シリーズで(そんなシリーズがある事自体驚きなんだけど)よしもとばななの巻があって、これに年譜が付いているらしい。

画像すらないが、存在はしている。これも図書館にしかないような本なので、けっこうアクセスに手間がかかる。どうしよう。

さいわい、以前購入した『本日の、吉本ばなな』には2000年までの年譜は載っている。だが1964年生まれの著者にとって30代を終えるのは2004年であり、非常に惜しい。まあ、使えるところは使っていく。それにしても2000年が15年前だということにいまさら驚く。驚いてばっかりだ。

で、とりあえず彼女のキャリアを総ざらいするなら、「キッチン」@海燕でデビューしたのが87年の23歳。20代はこれを皮切りに『TUGUMI』『アムリタ』『NP』あたりが代表作か。で、30代となると、自選選集の刊行を一つの事件として、『不倫と南米』『体は全部知っている』と奈良さん表紙シリーズに加え『デッドエンドの思い出』がきわめつけかなあ。『王国』もすごく好きな作品。この人の場合、出産経験が作品に出てくるのは『イルカ』はじめ40代からかもしれない。yoshimotobanana.comの日記シリーズは読んでおく必要ありか。

なんとなく『デッドエンド〜』は一つの区切りじゃないかなあと思ったりもする。あとがきでも書いてあるしね。

あと、パトリス・ジュリアンとの対談では自分のために書いたものこそ結果的に素晴らしい作品になるのであって、人のためとか考えてる時点で不純、みたいな創作の動機を言っていたような気がするんだけど、近年のダライ・ラマとの対談(あれ、いったいどういう経緯なの?)では40代からは人のためと思って書いていると発言していて、これはけっこう個人的には「え! まじですか、よしもとさん!」と叫びたくなるような感じ。まあでも、これはたぶんよしもとの30代というテーマ設定をした以上は、言及を逃れられない変化であるように思います。

深掘りすべき作品はなにかな? 『アムリタ』あたりから再読するのがいいかもしれない。

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