カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読みました。

いくつかのバージョンで映像化もされているので、この小説の設定そのものを明かしてもネタバレとまでは言われないでしょう。ただ、やはりそれを聞いただけでも重苦しい小説であること、かなりの覚悟を読む者に強いる小説であることは間違いない。ここに出てくる子供たちは、臓器提供という目的のためだけにクローンとして造られた存在、いわば家畜としての人間を描くというもの。その設定は物語のかなり早い段階で明かされますが、しかし後半で次第に明らかになってくるヘールシャムという場所の位置づけがむしろ、この物語を非常に人類史上的なレベルにまで高めているというか、単に設定の「面白さ」だけではなくてもしかしたらあったかもしれない人間たちの歴史のそうあってほしい一つの姿であることを必死にとらえている筆致がとにかく小説としてのパースペクティブを広げ、高めているのは間違いありません。もうそれは、読んでもらうしかない。

もちろん救いは全くない。でも、「子供時代」という思い出を共有するという、べつにクローンだろうがなんだろうが、その幸福の稀有さというのは変わらずあるのでしょう。その背後にある、子供たちに普通に遊んでいてほしい、衣食住の憂いなく好きなことをやって、遊んで、あの頃は楽しかったねと言い合える仲間を持てるということ──それが、繰り返しになりますがクローン人間であるかどうかにかかわらず、被投性を運命づけられたいつかは死すべき存在である人間にとって生きる/(それでも)生き続ける理由の重要な根拠となりえるのだということを、この小説のラストシーンは教えてくれます。

ところでヘールシャムというのはイギリスに実在する地名のようです。寄宿舎が描かれる田舎町の様子は同様のようです。同様に小説の中で重要な位置を占めるノーフォークも観光地として有名ですが(軍港のイメージもありますがそれはアメリカのノーフォークの方)、ここに出てくるような荒野というか荒地のイメージがイギリスの人にはあるのでしょうか? そのあたりがなかなか想像できないのが異国にいる読者としてはなかなか歯がゆいところでもあるのですが、これはまた他日検索でもしてみたいと思います。

しかし予告編見るだけで泣けてくる。日本でもテレビドラマ、また蜷川幸雄により舞台化もされています。

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