トーマス・フリードマン『フラット化する世界』

を、読みました。

本書はいくつかのバージョンがあるのですが、財布と、情報の鮮度と相談して、結局「増補改訂版」として2008年に出されたものを読みました。こういういわゆるビジネス書は普段あまり読まないのですが、たまに頭をもたげる「サラリーマンたるもの世界経済にも通暁していなくては…」というよくわからない向学心が本書に向かわせました。

要約するならば、いろいろな変節を経ていまやインターネットを介して多くの国の人間が個人として繋がり合うことができるようになった。しかも安価に。このフラット化された世界では個人同士の協業が促進され、これまでよりもより合理的な経済が動き始めた。多くの人の予想を裏切ってそれはお互いの利益になっている。例えば業務をアウトソースしたアメリカにとってはより高度な知的生産に資源投入できるようになり、業務をアウトソースされたインドにとっては貧困層がお金を稼ぐ喜びを知るようになった。しかし世界にはまだまだ国家自体が問題を抱えているためにフラット化された世界に参入できない人びとがたくさんいる。また、逆にアルカイダのようにフラット化した世界のあらゆるツールを駆使することで、普通の大学生をツインタワーへ旅客機を衝突させるテロリストに仕上げてしまう。けれど、あるいはだからこそ、著者は「健全な想像力」の重要性を訴えます。

9.11同時多発テロ後、われわれはみな飛行機に乗るたびに、そういう末路を思い浮かべるようになった。〔引用者注:犠牲になった〕キャンデシーの身に起きたことが、自分の身にも起きるかもしれない、と思わずにはいられない。〔…〕しかしながら、現在われわれの飛行機がテロリストにハイジャックされる確率は、きわめて低い。〔…〕乗るときは乗らなければならない。〔…〕事件を頭のなかで再生するのがイマジネーションであってはならない。新しい脚本を書くことがイマジネーションでなければならない。

綿密な取材と(ドコモの本社に来てロボットに驚嘆したり、出井や大前、マイケル・サンデルまで出てくるあたり、若干マユツバではあるんですが)丁寧な引用によって、本書は正確に今起きつつあることをリアルタイムに言い当てていると思います。なんにせよインターネットは道具であって、そして素晴らしい道具として使い倒すことが、健全な市民としての務めであるし、そういうボトムアップの経済活動がいまほとんど日常として定着したことに改めて新鮮な驚きを感じるべきなのでしょう。だって、ぼくが高校生の時なんて欲しい本が本屋になかったら注文して二週間本屋からの電話を待たなければならなかったからね。なんて、そんなオジサンの昔話は昔話として聞き流しておいて…。

今後、いま所属している国家のために自由な経済活動が出来ないでいる人たちがフラットな世界に参入してきたらいったい何が起きるのでしょう? 資源の枯渇? それは一つの危機としてあるかもしれない。今だってブラジルの天候不順というサプライサイドの問題と、世界的なミドルクラスの増大というデマンドサイドの変化によって、よく行くコーヒー屋さんの豆が値上がりしています。この先資源の争奪は必至でしょう。その時にボトムアップで素晴らしいソリューションがインターネットを介した協業によって出てくるとしたら、こんなに素晴らしいことはない。というか、出さなければならないし、出てくるんだという「健全な想像力」をぼくたち自身が強く信じなければなりません。そういうのは本当に日常に宿ると思います。

インターネットの歴史とその功罪を学びながらも、今後の世界の変容まで見通す、考えさせる読書に持って来いでした。文弱の徒が言うのも何ですが、かなり、おすすめします。

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