に、行ってきました。
六本木ヒルズに行くのは就職活動以来6年ぶりでした。
せっかくお休みをもらっていったのですが、六本木駅は通勤定期圏内のため、「ああ、やっぱり会社に行かねば・・・」という気持ちを抑えるのに必死。
この展覧会は「日本の自然知覚力を考える」と銘打った三人の作家によるインスタレーションで、テーマの統一性もありとても面白かったです。
ビニルハウスの中で羽毛布団の中身(鳥の羽ですけど)を扇風機で大量に吹き上げているものや、天井に設置されたたくさんのペットボトルからたくさんの水滴が同時に落ちてきて下に張っているプールに波紋が同時に起こるというもの、また三面の巨大スクリーンに次々と東京(外国もあったのかな?)の景色が写し出されていくものなど、バラエティに富んでいる上に非常に眼を楽しませてくれるインスタレーションが多かったです(その意味では「知覚」と言いながらも視覚によるものしかなかったような気も・・・)。
巨大スクリーンの作品はけっこう見入ってしまいました。
ぶーううううーううん、という低い機械音が鳴り響く、広く暗い空間の中で投影されるムービーが次々と切り替わっていきます。
スクリーンがあまりに大きいため、視覚がフレームをとらえることができず、本当に画面の中にいるかのような錯覚に陥ります。
動物園のバク、ゴミ処理場のパワーショベル、誰もいない手術室、地下の駐車場、湖に浮かぶ筏、都心の河を移動していくその川面からの景色、地下鉄の車内・・・それらが音もなく、粛々と続いていきます。
活動であれ、非活動であれ、時間は過ぎ去っていく。
誰も目に留めない、あるいは誰も見たことのない景色が、あまりに人称を欠いたpoint of viewから繰り出される。
そこには人間くささは感じられないのだけど、人間の活動は意図するとせざるとにかかわらず続いていかざるを得ないダイナミズムがこの世にはある。
あなたは知らないかもしれないけれど、誰も見ていないかもしれないけれど、今この瞬間も世界のどこかでは当たり前のように、水は流れ、風はそよぎ、人びとは生活している。
これはたぶん、監視カメラの映像に限りなく近いようでいて、限りなく遠い映像なのだと思いました。
そこにある大きな差異が何なのか、まだ言葉が見つからないのだけど。
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ところでやっぱり六本木ヒルズは好きになれない建物でした。
六本木という土地柄だから仕方ないのかもしれませんが、動線が錯綜しすぎています。
それに輪を掛けて無理矢理人を迂回させてその道道にあるお店にお金を落とさせようとする開発者の意図が何とも見え透いて仕方がありませんでした。
森美術館にしても、どう考えても狭いエレベータで52階まで行ってそこから53階にまたエスカレーターで上らないと入れません。
しかも帰りは50階までエスカレータで降りて、そこからでないと下りのエレベータに乗れない。
そしてもちろんその途中にはミュージアムショップといえば聞こえが良いが、お土産物店が軒を連ねています。
観光ツーリズムの只中に美術館を配置するのは、運営上仕方のないことかもしれませんがやっぱりお金の匂いがプンプンする中にお金で計れないものを置くのにはそれなりの作法というものが求められるのかもしれません。
あるいは、森美術館が「脱臭剤」としての効用を期待されているのだとしたら・・・と、いうのは考えすぎかもしれませんが、儲かることが最優先されるオフィスビルの中に美術館を置くということについて、開発者はもう少し深く考える必要があるようにも思います(だからこそ現代美術しか扱わないのかもしれませんが)。
六本木ヒルズで働いている人で、仕事帰りに森美術館に寄っていく人なんて、どれほどいるのでしょうか?
けっこう多重人格的にならないと、シンドイ気がします。
これは、自分が勤めているオフィスも似たような感じになっていることもあり、一応ホールも併設されているのですが普段仕事しに行っているところにコンサート聴きに行きたいかと問われれば、断じて否! と答えたくなる私の個人的な「センス」にも依るところ大ではあるのですが。
ただし青山ブックセンター六本木店は最高でした。