6月の日記

6月に入った。異動の季節ではあるので先週は送別会やらボーリング大会やらでほとんど毎日飲んでいた。そういうことも年に二、三度はある。

ぼく自身は相変わらず、相変わらずである。それでも、今年の前半はかなりの時間を仕事に費やしたので対外的にも(対上司的にも)夏が終わるくらいまでは少し自分のペースを取り戻したいと考えている。マニュアル整備やら頭の整理やら、あるいは少しだけ丁寧にルーチンをこなしてみるとか、そのあたりから始めようと思っている。

予算期に再発した喫煙も、最近うなぎ登りに本数が増えていって喉が痛い。やめればいいのに。やめよう。少しくらいは、もう一回努力してみよう。

そもそも喫煙は、別に集中力も身体的な快楽もなにももたらさない。ただそれは、つかの間思考を停止してくれる。考えるという行いを一酸化炭素が停滞させてくれる。そうしないとやっていられない。けれど、とことん思考とつきあうというのもそれは人生の態度ではあるだろう。

5月は、ほとんどブログの更新ができなかった。誰かになにかを伝えるということがこれほど億劫になったこともない。そもそも「だれか」ってなんだ? たしかに、想定読者は幾人か存在する。彼らに向かって、自分はまだ生きていると、キーボードを打ち続ける。それは、同時に自分に対してもまだ自分はこうして文章を書く可能性を保持しているということを証明しつづける営為でもある。

手が止まったとき、ぼくはこの世から少しだけ自分の存在が薄らぐのを感じる。いっそ、このままこの何年間かのログと共に消滅して(させて)しまいたい。形而上的自殺。朝目覚めたら、肉体が雲散霧消するような、デイドリーム。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

その青い光は、確かに「せはしく明滅」していなければなるまい。

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