村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ

を読みました。

Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow the System to exploit us. We must not allow the System to take on a life of its own. The System did not make us: we made the System.

まったくその通りだな、と思いました。

自分たちで作ったものに殺される。それも、システムがシステムであるが故に。誰のせいでもない、誰のせいにもできない。往々にして、そのシステムを作った人間にとって思いもよらない結果は生まれてくる。

仕方がないとか、こういうもんだからとか、そういうのは敗北の言葉だ。これはいったい何なんだ、とか自分だったらこうはやらないとか、ちゃんと立ち止まるべきだ。システムは確かにぼくたちを急かす。そいつが決めたロジックにしたがってぼくたちは思考停止を迫られ、なにも考えなくていいから言ったとおり動けと命令してくる。でも、それでも尚、立ち止まらなければならないときがあるんだろう。いや、それは日々考えるために立ち止まる時間を持たなければならない。

松下幸之助は、この世にあるすべのものが自分のものだったらと考えればあらゆるものを大切に取り扱うだろう、というようなことを言っている(らしい)。それは面白い発想だと思う。

会社だってなんだって、自分のものだと思えば自分で変えられると思えるし、少なくとも根拠のないそういう実効性は末端にいる人間ほど豊富に持っておいた方がいいだろう。なぜなら、システムを支えるのは現業であり、システムに参加するのは現業だからだ。

今月、ここ何年間かずっと全社的に動いてきたある取り組みのプレ試行があって、今のところ結構うまくいっている。それには、今まで思考停止してマニュアル通りやっておけば済ませられたものを、みんなが互いの情報交換の意義を理解し合って無駄なところは削減しあるいは逆に機械的な作業の意義を理解することでモチベイトされ、結果として今上手く動き始めている。

はっきり言ってシステム的なてこ入れをがんがん金入れてやったわけではない。けれど本当にボトムアップでブラックボックス化していた部分をひもといていったおかげで、全員がシステムの全体像を理解し、変な言い方だけど自分が必要な歯車なんだということを理解した上で現業が動いている。これは卵か壁かという二元論では片付けられない事態だ。別に卵の味方を顕示する必要もない。我々がシステムを作り上げている、という強烈な意志だ。

実際問題壁を主張する人、壁になりたがる人、壁が大好きな人、というのはいる。往々にして管理職クラスにいる。というか、もし管理職なるものがそういうことを旨とする職制であるならば、はっきり言ってそんな会社つぶれちまえばいいと思う。流行のスーパーフラットな職場がいいかと言えばそうも言えないかもしれないけれど、少なくとも壁だけ作ってあとはよろしくじゃ困るでしょ。スケジュール組むことも大事だけど、大事なのはそれを残業100時間して遵守することではなくて無理な部分を都度都度修正していける柔軟さでしょ。

と、思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA