疑似退職としてのゴールデンウィーク

大森南朋が好きなので、見てみた映画。

30歳を目前に映画を撮りたいと言って会社を辞めた主人公が一向に映画を撮らずにぶらぶらして「俺の生まれた意味ってなんだろう?」とドツボにはまっていく、というストーリーです。ぼくにとってはもしかしたら待っているのかもしれない未来、です。ほんとうに大森さん、だめだめな男を演じて見せてくれます。

それにしても「もしも会社を辞めたなら…」という空想に耽るまでもなく、このゴールデンウィークというのは擬似的に退職生活を味わわせてくれる期間でもあると今更ながら思います。会社を辞めたらあれやろう、これやろう、なんて言い訳は通用しません。この休み中に行ったことすなわちそれがあんたの退職後の生活と一致するのです。これ、現実というもの。

最近は本当に自己肯定から遠ざかっていたずらにニヒリズムにおちいっているのですが、ときどき三島を読んでかれの戦いぶりに思いを馳せたりしつつ、後に続かない小説の冒頭を何種類も書き散らしたりして暮らしておりました。けっこう、危機的状況です。なんて言っている内はだいじょうぶだと思うのですが、でもやっぱりあと何十年もこんな生活を続けなくちゃいけないのかと思うとゾッとします。

リクナビネクストをのぞいてみたり、公務員試験の日程を調べてみたり、まあそれははっきりいって本気というのはほど遠いものなのだけれど、転職活動に使うエネルギーがあるんだったらもっと他のことやってるんだろうし。

きゅーきょくにめんどくさがりになっているんです。

やることがないのです。

やるべきことがないのです。

志も使命感も、どこかへ飛んで消えてしまったのです。

体を動かすということが、どんなにちいさなことでも、たとえばコンビニにご飯を買いに行くとか、お風呂に入ってからビールを買って飲むとか、そういうすことすらめんどうくさくて、ただただブラウン管をながめているだけ。それが昨日の夜。まずいなーって思った。

あれを思い出した、岡真史の詩。

「ひとり ただくずされるのを まつだけ」

っていう、彼は十二歳にして投身自殺をしたんだけどさ。それにくらべたらちゃんちゃらおかしいぜ、ぼくの人生。才能を金で補う資本主義。あんまりほめられたもんじゃないよ。

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