ツマラナイ奴?~教員免許がやってきた

猪俣ユキさんという女優をやったり脚本を書いたりしている方がいるんですが、同じ1982年生まれということでちょっと気になって日記とか読んでいた時がありました。で、彼女のある日の日記で今だに心に残っている言葉がある(これはもう彼女のサイトに行っても見れません。気になった文章はやっぱり印刷して残しておくべきだね)。

いろんな事に興味があって、なァ~んにもやる気がおきない。〔中略〕
自転車だって最近乗ってない。
やっばー、
もしかして私、ものすご~くツマンナイ奴になろうとしてる?
やややや、何かしよ。
マジで。
ぬーん。

この、最後の「ぬーん」にはまった……のではなくて、「もしかして私、ものすご~くツマンナイ奴になろうとしてる?」という自問がすごくすごく倫理的というか、どういう人間になりたいのだろう自分は、っていう問題の答えを示しているような気がして。もちろんそれは今の自分と照らし合わせてっていうことなんだけど。

周りに流されないようにっていうことには気を使っている。やりたいことをやる時間もやるべきことをやる時間も必要だし、それは自分で死守しなくちゃいけない。でもそこまでして守るものってなんなのだろう、それってすごくツマラナイ? もちろん「んなこたあない」って今は言えるのだけど。もちろんツマラナイかツマラナクナイかを判断するのは自分。自分の頭でも体でもいいけど、そいつらが発している信号に従おうと思う。

ちなみに猪俣さんの文章は他にも思わず膝を打ちたくなるような表現がたくさんあります。

上海は、貧富の差が目に見えて激しい。〔中略〕
日本とは違って、「それなりに」とか「てな感じで」みたいな言葉はない。

これを読むと海外なんか行った事もないぼくでもちょっとは他でもない日本という国に自分はいるんだなということを再確認させられる。あるいは

私は、脚本を書きながら泣いたりする。
気持ち悪いけど、だけどそれくらい「愛」と「優しさ」を持っていないと駄目だと思う。

本当に人を感動させるにはこれくらいでないとまともな作品なんて書けないんだろうな、とこれはぼく自身がなにかを書く時に必要な心構え。そして一番好きなのが次の一節。

学生時代、東京タワーにハマっていた時期があった。
月に3度も行った。
タワーに登ってアイス食いながら、ただただ好きな人のお家の方向を眺めていた。
ヤバイ?
恋人になりたかったんじゃなく、眺めるだけの恋だったのだ。

まるで小説の書き出しのような文章です。いいよね、江國香織の『東京タワー』なんかよりずっと上の五行を読んだだけで東京タワーに登りたくなります。

ところで今日教員免許が送られてきました。封筒に「東京都教育庁人事部選考課」なんて差出人が印字されていたら寮の人に「なーんだ、あいつはもう会社やめんのか」とか思われちゃうでしょ! ま、いいけどさ。

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