おめでとうございます。

紀宮様ご婚約内定ということです。

皇族のご結婚というのは案外国民生活を反映していて、雅子様のご結婚は恋愛結婚でしたし、紀宮様も新聞報道を見る限りそのようですしご年齢からも察するとかなりわれわれ国民の生活との乖離はほとんど無いように思います。

どうも国文学をやっていると、皇族はかすみでも食べている殿上人どころか雲上人という感じでとらえてしまうので、いやもちろんそういうコノテーション(?)も維持していただきたいのですが、意外とわれわれの生活感覚と地続きになっている部分にいちいち驚いてしまいます。

話は変わりますが、最近齋藤孝見たさに「世界一受けたい授業」とかいう日テレの番組を見ているんですが、ときどきどう考えても大学の現場では相手にされないような、分けの分からない学説をここぞとばかりにとうとうと述べる場面があるので辟易します。

昨日は金田一の三代目が出ていたんですが、若者言葉の曖昧さは日本人本来のものだからそんなに目くじら立てることはないという説で、それはそれでいいんですが、説得の仕方に問題がありました。曰く、「辞書にも載っているから」。

そこで「広辞苑」が出てくればいいですよ。しかし「新明解」を出してきたんですよ。「新明解」は金田一一族が監修している辞書ですからはっきり言って彼らの学説をそのまま反映する辞書なわけですよ。「辞書にも昔の若者言葉が載っている? あんたが載せたんだろうが!」とテレビに向かって絶叫してしまいました。

「広辞苑」は基本的に「日本語はもともとこういう意味だ」という方針でやっていますが「新明解」は「本来はこうだけど今はこういう意味じゃん」という方針でやっているんですね。それを逆手に取った金田一三代目の論証は学者として最低のものでした。主張はいいんですが。

でも「新明解」は大好きな辞書です。読む楽しみがあります。もしご家庭に真っ赤な「新明解」がありましたらぜひ「恋愛」を引いてみましょう。「こんな意味なのかよ!」と驚きます。

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