ロジカルになりたい

そう思っていたことが私にもありました。いや、今でもそうですけど。野矢本の旧版の脚注にけっこう大学受験参考書の言及があり、その中に師匠の本もあったということで旧版は結構読み込んでいました。結局、よほどの悪問でないかぎり、大学受験の現代文というのはロジックを問うているだけなので、日常生活や会社生活で必要な論理的思考の大部分はそれでカバーできているわけだし、すべきなのです。ましてや小説を読んで心が豊かになるなんてことは万が一あったとしても学校で教えられるものではないのです。

──というのは、よく大学の教職の授業で教育学部国語専攻の人間と、文学部国語専攻の人で対立する場面らしいのですが、ぼく自身はどっちかというと学校教育の国語なんてロジカルに本が読めればそれでよい(なので今のTOEICみたいな共通テストの国語の方向性は基本的に良いことだと思っている)と思っていました。

文学教育という言葉そのものが自己矛盾しているし、国語便覧一冊渡して、興味ある生徒は勝手に小説くらい読むのでは? というのはあまりにも乱暴なんでしょうが、現代社会における優先順位はまずなによりもリテラシーなんだと十年来思い続けています。

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