連休が終わるなあ

基本的にコロナだろうがなんだろうが一日家にいても困る人種ではないのですが。前半は先のエントリでも書いたごとく、書き続けていた小説の仕上げやらタイトル付けやらに精を出していたのですが、後半はわりと読書ばっかりしていました。子供と公園行っても、遊んでいる横でベンチに座ってひたすら(日差しを浴びながら・・・)本を読んでいました。

といっても、本棚の肥やし再読キャンペーン中のため、特段こだわりがあるわけでもなく、ぼくの場合は今どうしているかというと、2010年くらいからつけ続けているブクログに登録されていない本を本棚に並んでいる順に読んでいくという・・・。おかけでエリック・ホッファーの作品社から出ている一連の著作(これは学生の頃よく読み返したもんで、俺もサラリーマンにならずに沖仲仕になろう・・・というのは冗談ですが)は読了。あとは村上春樹の読者とのメールのやりとりをまとめた赤本、青本、緑本を順にちびちびやっていました。

最近はいちいちこのブログにも読んだものをすべて紹介していません。気が向くと、感想を書かない読書は時間の無駄と思う時があって、そういう時期は無理にでも書いたりするんですけどね・・・。

あとは知り合いの知り合いでやはりここと同じように10年以上書かれ続けているブログの2005年あたりから読み返してみたり。なんとなく趣味が近い人なので、2000年代の懐かしいキーワードを掘り返したり、まあ自分もこうしてブログを長く書いているわけですが、かつての情熱というか、ニュースのいちいちに怒り狂っていたころの心の飛び跳ねみたいなものをね・・・なんかこう、思い出したくてね。

太宰の『正義と微笑』の奥野健男の名解説にある「青春小説は青春を過ぎた者のためにある」っていうのが身に染みる今日このごろです。

ブログというのは、かつて20代の頃は明確に目に見える読者がいて、それはリアルでも付き合いのある友達だったりして、そういう人たちに語りかけるように、あとで直接会ったときに「ブログにも書いたけどさあ~」と言いながら話題にするようなものだった。だからコメントつけ合ったり、掲示板なんかも太古の昔にはあったりしたわけなのだが。

いつのころからかそういった人たちとは本当に疎遠になってしまい、連絡先もわからなくなってしまった。それは、たぶんこれはお互いさまなのだが、ガラケーからスマホになったおかげでだんだんキャリアのメールアドレスというのが知らん間に無効になってしまい、いちいち連絡し合うわけでもない相手に変更の連絡もせずそのままになっているのではないか。それで、電話番号が相変わらず変わっていない人だけラインで見つかるという・・・。そしてフェイスブックもやっていない(その手のはmixi止まり)ぼくのような人間は、もしかしたらあるのかもしれない別の場所にある円環からも抜け落ちていっている。ツイッターもブログの更新用だしなあ。

寂しいものだがそれもまたブログを長く続けるということなのだろうか。まあこちらもサーバーというか、ブログサービスそのものを何回か引っ越ししているのでそのたびに読者は匿名の度合いを増していくわけだ。だってこのブログでいまだに一番アクセス数を稼いでいるのって『潔く柔X』人物相関図、住友有X園、フXイングカーコーポレーション研修の3つですからね・・・(過去エントリーは引っ越しのたびに引き連れていっています)。

昔みたいにある意味で生き生きとブログを書き続けていきたいな。と思ったりしました。自分が好きなものだったり、いろいろなことに挑戦したりする心の動きとか、そういうのに縁遠くなったが、今一度、自分のペースでなにか残していきたい。

かつて学生の頃なんであんなに生き急いでいたのか、自信のない自分を隠すのに必死だったのか、もうそんなことどうでもいい年齢になったので、もうすこし地に足ついたエントリーをもう5月になったけど、1エントリでも増やしていきたいなあ。

長々書いていたら日付を越えてしまった。

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