清武英利『しんがり』『奪われざるもの』

思うところあり、読了。前者はドラマ化もされているようですが、山一證券の破綻の際にその原因の一つとなった簿外債務の調査にあたった社内チームの物語です。監査の部署にあった人間(しかも役員)たちですから、結局会社に非があることをつまびらかにすることは自分たちの業務を自己否定することになるわけで、既に店仕舞が進んでいく中でこれを並行して調査報告書としたことは並大抵なことではないと痛感します。その苦労は最後、少しだけ報われるわけですが、そこは人間として少しだけ救われる。組織の人間は自分の収支決算を見て仕事しているわけではないのでしょうが、それでも「義憤」というのでしょうか、そういうものが無給で人を働かせるというのはこれが最後の時代だったのかもしれません。かっこよく言えば、魂の収支報告というか、そんなもんじゃなかったと思いますが。

破綻した1997年は、ぼくは中学か高校生くらいだったと思いますが、横浜駅の西口の相鉄を出たすぐのところに山一証券のビルが確かあって、いつの間にか「メリルリンチ」という当時は全く聞きなれない名前にある日変わっていたのをよく覚えています。山一証券の旧社員の方は多くがメリルリンチに再就職できたそうですが、それも結局は山一の末端社員は優秀であったということのようです。

もう一冊の『奪われざるもの』はソニーの「リストラ部屋」についてのルポですが、こちらはあまり華々しい内容ではないものの、ソニーという何が本業かもはやわからなくなってしまった会社で「技術者」たちがもがき苦しむ姿を描いています。サンヨーと同じとは言いませんが、一つのプロダクトで食い続けるということの難しさ、あるいは家電業界の王道なきばくちさというか、世の中安泰という言葉は本当にないなあと改めて思い知らされる読書経験でした。

ある意味でこういう覚悟を持ちながらも、日々の業務に邁進するという悲哀。そしてその悲哀を決して面には出さずに、部下を鼓舞し続けていくことの管理職のこれまた悲哀。でも奇しくも1997年にヒットした『ビーチボーイズ』というドラマではいいセリフがあったんですけどね。

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