ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』: 第一次世界大戦と『論理哲学論考』

を、読みました。

これを読むために前のエントリーで『論理哲学論考』を持ち出したりしていたのでした。本書は、書中にある「テクストについて」でも紹介されている通り、これまで遺産管理人たちが秘匿してきたウィトゲンシュタインの「私的な」領域についての日記を本邦初、完全邦訳したある意味で研究者の間では「事件」と言ってもいいくらいの一冊なのかもしれません。

もちろんぼく自身は研究者でもなんでもありませんが、やはり『論理哲学論考』を読み通した時に感じる6-4以降の座りの悪さについて、本書を読み通すことで解のきっかけになりそうなヒントはたくさん紹介されています。それは戦争体験であり、友人の死であり、あるいはそれを通じて著者が祈念した宗教的な「高み」なのかもしれません。いずれにせよ、従軍体験のさなかに「論考」の原型が構成された、その従軍中の日記の邦訳ということともなれば、「論考」をた字面だけ追っていくだけでは理解できなかった何かが、つかめるように気がします。

繰り返しになりますが、研究者でも何でもないぼくがこれを読んで感じるのは、たとえば一つの著作が立ち上がる現場の生身の人間の息遣いを感じる面白さであったり、あるいはエリック・ホッファーのような私的な部分を出発点にした思索の生成の一つ一つを追うことの面白さであったりを味わえるからなのですが、それが邪道な読み方であったとしても、「論考」を一度は目を通したことがある人は読んで損はないと思います。

──なにはともあれ、丸山先輩、陰ながら応援しております……。

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