松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』

を、読みました。

いまさらながら、寡作の作家です。この小説が発表当時どのような世の中に受け入れられていったのかはわかりませんが、若い作家がセンセーショナルに新しい(というか、本来の?)女性の性を描いたとか、あとなんとなく旅先で厨房が登場する「吉本ばなな」臭さとか(いや、今調べたら「ナチュラル〜」のほうが一年刊行が早い……80年代青春の典型?)、なんとなくあの時代の持つ若々しさとか、価値観みたいなものは伝わってはきます。

けれど、一番いま読んで感じるのは、ある人間にとって恋愛の定義というのがどうやって形成されていくのか? ということ。ごく簡単な例で言えば、恋人から暴力を振るわれれば、暴力を振るわれることが恋愛であるという「刷り込み」が、ましてやそれまで恋愛を経験してこなかった人がいきなりそんな境遇に置かれてしまったら、自然とそうなってしまうんだろうな、という恐ろしさ。

本当はもっと、自分が楽でいられること、ナチュラルでいられることが、恋愛の一要素でもあることに気づくのは、主人公にとってもっと後のことなのかもしれません(もしかしたら、それは由梨子との関係において実現するのかもしれない)。花世との関係が主人公の恋愛観のベースになっているからこそ、夕記子にたいする悪態が深い影を落とすように見えます。

大学のサークルを軸とているのでなんとなくひぐちアサの『ヤサシイワタシ』にも似たヒリヒリとした出口の無さを味わいました。こういう味はすごく好きですが、一時期(会社に入って間もないころ)いやというほど大学生モノの小説は読み倒して、そういう自分に食傷していた時期があったのですが、今は何となく少し距離をおいて読める気がします。年を取ったということでしょうか。

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