今日も早く帰ってきたので

NHKの『仕事の流儀』DVDを見る。とある予備校英語講師のプロとしての仕事がかいま見られます。ぼくはこの先生の英作文の本をたまたま読んだことがあるのですが、なんでも参考書の発売日には本屋に受験生が並ぶらしい、それくらいすごい人らしいです。

この番組は好きでよく見るのですが、やっぱり若い人相手の仕事をしている人の真剣さというのは見ていてすがすがしいし、学ぶところは大いにある。あのスタイルでサラリーマンができたらとても素敵だと思う。受験生の姿もかつての自分のことも思い出します。そういえばそんな季節なんですね。

些末なことにこだわりすぎている気がします。最近の自分の書くものを見ていると。あるいは自分の読書の傾向をちょっと一歩引いてみてみると。

もっと自由でいいし、もっとどうでもいいことはたくさんある。そしてどうでもいいことはどんどん切り捨てるべきだし、そうすることによってしか自分の人生の大切な部分を守ることはできない。

ちょっと話は外れてしまうのかもしれないけれど、このDVDの中で一生懸命生徒と向き合っている一教師の姿を見ているとそんなことを考えさせられた。

ふりまわされるな。

ふりまわすぐらいの気持ちで行け!


小津安二郎『東京物語』

早く帰れたのでDVDを借りてきて見ました。
小津の『東京物語』。

なんだかもう、言葉を無くした。
これほど濃密な物語をかつて映画で体験したことがない。

尾道に住むある老夫婦が子や孫のいる東京に遊びに来るのですが、子供達は仕事やらなんやらで忙しく東京案内を面倒くさがります。

仕舞いにはお金を出し合って熱海に行ってもらう。けれど熱海では若者達がどんちゃん騒ぎをしていて全く気が休まらず「もう帰ろうか」ということに。

いったん東京に戻ってくるも夫は昔の友達と会って泥酔して夜遅く帰ってきたり、妻も行くところが無くて戦争で亡くした子どもの未亡人(って今は使っちゃいけないのか)宅へ居候したり。

結局夫婦は尾道に帰るのですが、妻は間もなく亡くなってしまいます。子ども達も尾道へ集まるのですがなんだか下世話な話ばかり。そして子ども達が再び東京へ引き上げていき、夫は背中を丸めて一人部屋でうちわを仰いでいる……。

そんな話です。

シーンの全てに惹きつけられる。

あの老人ののんびりとした語り口調の裏にあるものすごい諦念、というか達観。しびれる。でも久しぶりに東京で会った田舎の友達と飲み過ぎてしまう弱い部分もちゃんと描かれる。そこがもう、泣けてくる。「久しぶりに友達と会って飲み過ぎてしまった」と情けなさそうに語る、それだけで、そのたった一言の「友達」という言葉の裏側にあるものすごい長い時間、歴史、それに圧倒されて泣けてくる。

原節子の役どころもとにかくすごい。彼女がいなかったらなんの救いもない話になる。正義感の強い義妹へ、人は変わっていってしまう、仕方がない、みんな自分の生活が大事になってきてしまうんだと諭すと思いきや、最後の最後の最後で彼女が見せる、戦争で死んだ夫を忘れていってしまう自分への怒り。そのアンビバレンスがもうとにかく泣けてくる。

久しぶりいい映画を見た。

あんなふうに年を取れたらすばらしいと思う。小津は初めて見たのですが、これを機会に他の作品も見てみたい。


【小説】無題-001

 憶えているのは、暑い日差しだったということだ。私たちの頭の上にはジェットコースターが走っていて、その嬌声が時々降り注いできた。
 同じ日差しを私はもう一つ知っている。千駄ヶ谷の駅を降りたときだ。なぜだか知らないが、私はいろいろな人から新宿御苑に誘われた。大学生の頃だ。
 ときどきその光を、思い出す。

 五年間、私は生まれ故郷である東京を離れていた。五年経って戻ってきたとき、両親は死んでいた。私の知らない間に葬儀もなにもかも済んでしまい、私の生まれ育った八王子の家も売り払われていた。
 母親はよく言っていた。子供に自分たちの老後の面倒は見させない、と。だから私も東京を離れてから両親との一切の連絡を厭うようになった。その言葉一つだけで、あの人達が自分のことを全然あてにしてくれていないとか、私が就職さえしてしまえばあとは関係ないとか、勝手に私は思いこんでいた。
 思いこんでいた、というよりはもっと前から、たとえば私が中学生の時につきあっていた男の子のことで家族中大げんかになったりとか、父親がついに四度目の不倫を働いたとか、相手の女の人が私の大学の試験を受けて家に帰ってきたら母の前で声を上げて泣いていたとか(あの女の人はこたつがあるのに足を入れることもせずただ正座していた)、そういうことが積もり積もって私の家族というものに対する執着が無くなっていったという事情もある。
 私は、家族を捨てた。私は、あの人達を両親としてみることをやめた。そのきっかけとして私が就職して東京を離れることを利用したのかもしれない。
 そういう複雑なことを考えるにはいい機会なのかもしれなかった。私は結局、田舎の工場の経理なんてものには向かず、地元のヤンキー上がりの現場の男の子達と何度か火遊びをしてみたのだけれどそれもすぐに飽きてしまい、なんの刺激もない田舎のただっぴろい道路を軽自動車で時速百キロ出しながら口笛吹いていたら電信柱にぶつかって気がついたら全身包帯でぐるぐる巻きにされた状態で、地元でもたいそう評判の悪い医院のベッドの上に寝かされていた。
「車はね、全焼でしたよ。あなた、本当にギリギリのところを助けられたんですよ、ほら、あの若者に」
 見れば、一ヶ月前に胸だけ触らせてあげたガリ勉君が立っている。けれど私は彼を紹介してくれた看護婦の巻き巻きの金髪の方に驚いてしまい、それ以来彼のことは思い出せない。頭を打ったせいで短期記憶が超短期記憶になってしまったのかもしれない。
 それから一ヶ月、私はその病院で過ごした。入院患者なんて私くらいのものだった。毎朝同じ老人がやってきて、問診という名の世間話を院長先生とやらかして決まった薬を決まった量、もらって帰る。それが十年一日のように繰り返されているような病院だ。私だって全身のやけどが治るのを、時々やってくる金髪ぐるぐる巻きの看護婦に軟膏を塗られながらただ待っているだけの患者。
 それでも治療費は全部会社が出してくれた。あの男の子は警察から表彰を受けたらしい。こんないつ死んでもいいような女を助けだしたおかげで。そのことの価値判断は置いておこう。いずれにせよそれは彼のこの先長い人生の中でも、神様のようにあがめ奉られている工場長から朝礼で名前を呼ばれて直々に表彰状を渡されたあの一分間というのは燦然と光り輝く瞬間だったに違いない。私はその場にいなかったのだけれど、私が個人的に人に聞いたところではそんな様子だったらしかった。
 でも、私はクビになった。
 潮時だと判断されたのだろう。
 確かに仕事はできなかった。会計士が来てもろくすっぽまともな受け答えができなかった。加えて大卒のプライドがじゃましてお茶くみとか掃除とか花瓶の水を取り替えるとかそういう会社の女の子がやんなくちゃいけないと勝手に思われている仕事も全然やらなかった。何度電卓を打ち直してもそのたびに違う答えが出てきたし、帳票の整理もぜんぜんできなかったし、保存年限が過ぎていない書類まで焼却炉で勝手に燃やしてしまった。
 はっきり言って、要領が悪かった。男関係もだらしなかった。さびしかった。東京にたくさんいた友達とは疎遠になり、かといって慣れない田舎の複雑な人間関係に入っていく勇気もなかった。ただ女の子であるということだけでちやほやされる、そんな場所へ逃げ込みたかったのだ。

 新しいことを始める勇気がなかった私は、大学生だった頃住んでいた部屋をもう一度借りようと思った。でも三十になんなんとする無職の女に部屋を貸してくれる良心的な不動産屋なんてあるんだろうか?
 私はとりあえず身なりを整えようと思った。ジャージで町を出歩くのが当たり前の場所に五年もいると、ほとんど自分の服装に気を使わなくなる。ちょっとでも気を使ったふりをするとみんなからじろじろ見られる。口笛まで吹いてくれるやつまで出てくる。だから私もあんまり目立たないようにしてきた。みんなと同じようにジャージで出歩いたりした。
 このみんなと同じようにして目立たないように振る舞うという日本社会の最大のルールは東京でも健在だ。表参道を誰もジャージで出歩いたりしないという、それだけの違いだ。
 仕方なく私はちょっと緊張しながら新宿ルミネのコンサバ目なショップに入るとフレンチスリーブのカットソーと短めのコートを買った。うわっ、こんな買い物は久しぶりだ。
「こちらのコートですと、あちらのフリルのスカートがお似合いですよ。上は薄めの色で、下はちょっと濃い色になりますから遠目に見てもすごく大人っぽくまとまります」
 なんて店員にそそのかされて、やっとレジまで来たのにスカートも買ってしまった。一万円が五枚も財布から消えていく。ああ、これで一ヶ月分の家賃が。いやでもこの五万円によってあのなつかしい部屋を借りることができるかもしれないのだ。なんて考えながら、よく考えたら結局私はただ洋服が買いたいだけであって、あるいはただ買い物がしたいだけであって、部屋を借りることなんてどうでもいいんじゃないかという気さえしてくる。やっぱりそうだ。私はいつだって自分の本当の欲望をはき出す口実を探している。両親とのことだってそうだ。私は理由を探して何度も何度も会わないようにしてきた。ううう。
 短絡的思考がぐるぐると回り出す。私は私が知っていた頃とはもはや全く違う新宿駅の南口に広がるサザンテラスをとぼとぼと歩き始める。
 ものすごい数の人。
 買ったばかりの洋服が入っている大きな紙袋が私の腕をぐいぐいと痛めつける。
 ものすごい数の人が、私を追い抜いていく、私とすれ違っていく。ああなんだかみんな私より若く見える。みんな私より輝いて見える。みんなどこかに向かって歩いていく。私は私の歩いていく先を知らない。うん、これは全然形而上の話ではなくて、ただ私はただ歩いている。

 気がつけば、私は代々木駅を通り越し代々木ゼミナールを通り越し日本共産党の本部を通り越し、千駄ヶ谷の高級住宅街に迷い込んでいた。遠くにドコモのスカイスクレイパーがそびえる。頭上の高架を中央線のオレンジ色の車体が轟音をとどろかせて走り抜けていく。
 あ、知ってる。
 と、思った。
 この景色は知っている。よく知っている。知ってるけどなんか違う。ああそうか、こんな寒い日にここに来たことはなかった。私が知っているのは桜が満開の御苑と、夏の蝉たちが大合唱をしている御苑だ。そしてその時、私の隣には別にいつだって男の人ではなかったけれど誰かすごく親しい人がいた。彼らは私を御苑へ連れてくることをなにかのステータスのように感じていた。私は一度だって行こうと言ったことはない。ただ彼らは新宿御苑という場所になにかすごい、とてつもない意味性を持ち込んでいて、そこに行くことをなにか神社のお参りかなにかと同一視している感じがした。そういう感じを私はちゃんと共有できたかどうかわからないけれど、暑い真夏のコンクリートから一歩苑内に足を踏み入れたときの特別な感じはまだ若かった完成にびんびん響いて、ぽっかりと空いた新宿の空を二人でビニールシートを広げて広場の木陰から眺めているとなんだかこれが永遠に続くんじゃないかと思ったりもした。
 私は別に意識してここに来ようと思ったわけではなかった。だいたい道順を忘れている。でもこれが体の記憶みたいなものならば、驚かずにはいられない。いっそ入ってみようかと思ったけれど、もう閉園時間を過ぎていた。

 私は新宿御苑のそばに住みたいと思った。それがかなわないならば日曜日には歩いていける距離に住みたいと思った。だから大学の時住んでいた三鷹に行くことはやめて、とりあえずビジネスホテルにでも今日のところは落ち着こうと思った。久しぶりに都会の風に当てられて考えなくてもいいことまで考えすぎて少し疲れたのかもしれない。コマ劇場のさらに奥にとても女一人じゃ出歩けないような場所に安く泊まれるところがあったので私はそんなことまで教えてくれる交番のお兄ちゃんに礼を言いながら新宿駅へとまた戻っていった。私はくたくたになってすぐに寝てしまった。

 翌朝起きて小さい窓から注ぎ込む日光を見ていたら、やっと私はもう会社に行かなくていいんだ、鉄製のキャビネットが今にも倒れてきそうなあの薄暗い経理室に行かなくてすむんだと心の底から思えて少しだけ涙が出た。
 私の口座には五年間で五百万の現金が貯まっていた。一ヶ月もろもろで十五万かかるとして二年半くらいは遊んで暮らせる。お金が尽きたら死んでしまおう。なんてまさかまさか、さすがに二年半もあれば仕事の一つや二つ見つかっているでしょう。
 でも部屋を見つけることができたら半年くらいはのんびりしたいという思いもあった。好きな時間に起きて好きな音楽を聴きながら好きな本を読む。そんなのは老後にでもならなければ不可能だと思っていた。だから私は五年間毎日毎日はやく定年退職したいと昼休みに女の子達とご飯を食べながらこぼしていたのだ。でも彼女たちはきょとんとしていた。それなら結婚しちゃえばいいのに、それを言うならはやく寿退社したいでしょ? なんてことをあからさまに言う人はいなかったけれど、たぶん私は単純にわけわからない強い女としてしか彼女たちには映っていなかったんだろうな。
 ま、とにかく私は頭の整理と体の生理を……じゃなくて、いわゆる身辺整理というのをちょっと丁寧にやりたかったのだ。今まで私が来た道をちゃんと巡礼して、先祖代々のお墓にもお参りして、死に目に会えなかった親のことも許してもらおうと。
 たぶん人間ってどこがそういうことに自分の脳みそを費やすのをやめているんだと思う。だってつらいから。なんで私がここにいるのかって考え始めたら、たいていの人は「別に好きこのんでここまでやってきたわけじゃねーよ。なんか親の都合とか会社の都合とか、俺がどこで生まれてどこの学校出たとか、いや実は高卒なんですわとか、そういうことにすんごい左右されて、とりあえず自分の意志でここまで全部やってきましたってやつの言うことだけは来かねえな」って私に言い捨てて九杯目のビールに取りかかる。私は居酒屋でそういう話をしてはいけないんだということに二十六歳の時やっと気がついた。今まで私の周りにはそういう話をしたがるやつばっかりいて、それでそういう環境というのは案外珍しいものだったんだな。私の周りにはたくさんいたよ、全て自分で選んできましたってやつ。パンツも自分で買うし、どの授業に出るのかもどの女の子とつきあうのかも全部自分で決めてきましたってやつ。すごい自信家で、私はそういうのいいなって思ってた時期が割と長かったんだ。
 でも私は望まない妊娠を一度だけして、それ以来人間の意志みたいなものを全然信用しなくなった。だから私は正直なところなにがあっても驚かない。親が死んだって、そりゃあいつかは死ぬんだろうし、でもかといって私がシネシネって念じたところで死にゃあしないんだよ。
 東京駅に着いて、実家の電話がつながらなくて、おばあちゃんの家にかけてみたらたぶん倫子おばさんと思われる女の人が電話に出て「葉子デスただいま戻りましたご迷惑おかけしました」って私が言ったらものすごい勢いで彼女はまくし立てた。
「あんたいままでどこ行ってたの。もう私は死んだものと思ってた。真智子、死んだのよ? 最期まであんたの名前呼んでたよ。新聞にも広告出して、あんたが帰ってくるのをギリギリまで待っていたんだよ。でももういい、あんたは帰ってこなくていい。この電話はなかったことにしてあげるからどうぞどこでも好きなところへ行ってちょうだい。もう帰ってこなくていい。親戚中、あんたの話はタブーになってるから、今更のーてんきな顔見せられてもあんたのことを恨むことしかできない」
 私はあまりに恐ろしいことばかり携帯電話から流れてくるのでこれはなにかの間違いか、番号の押し間違いかなどと考えてその辺で電話切って、電話を切るどころか電源まで切ってしまった。

 チェックアウトの十時ギリギリまで私は部屋にいた。久しぶりに朝のテレビを見た。時間を思いっきり無駄に使えることの幸福を噛みしめる。いままでだったらどんなにはしゃいでも月曜日の朝というタイムリミットをどこかで意識していた、せざるをえなかった。でも今はゆっくりとコーヒーを飲みながら自分一人のためだけに一日を設計することができる。そのことがどんなに人を幸せにするのかを、私は会社に入って初めて知った。もちろん、逆説的に。そもそも私は働いてお金を稼ぐなんてことにほとんど興味がなかったのだ。家が金持ちというわけでもないのに、私は自分の家にどれくらい貯金があるのかも知らなかったし、母親も私を塾に行かせるための授業料を稼ぐために団地のチラシ配りとかやっていたけれど、私にはほとんどそれが必要に迫られてやっていることのようには思えなかった。なんだか私にわざわざ苦労して教育費を出してやっているということを押しつけているようで、私はとにかく不快だった。まだ紺色のブレザーを着ていた頃だ。私はお金を憎んだ。マルクスを読んだ。塾の先生が左翼崩れのおじいさんで、私たちは授業が終わったあと夜遅くまで資本論を囲んで議論をした。私は大学に入って初めて、マルクス経済学がケインズ経済学にとってかわられているのをシラバスで知って愕然とした。
 話がそれた。
 どうも昔のことばかり思い出してしまう。いいんだ、とりあえず私は今ここでこうしてふかふかのベッドに腰掛けながら生まれたての朝日を体中に浴びる! 昨日買ったばかりの真新しい洋服のそでに腕を通す! 新しい私! 新しい一日!
 なんて煙草もやめて久しぶりのナチュラル・ハイに気をよくしていたらもう少しで超過料金を取られるところだった。そそくさと朝の新宿へ繰り出す。


帰宅

どんな時間に帰ってきても、必要なことに必要な時間をかけなければならないと思う。それをしなくなったら生活に負けてしまう。パトリス・ジュリアンよろしく手を抜くことなく今から就寝までの時間を楽しもう。

手を洗い、うがいをする。
水筒を洗う。
暖房を入れる。
届いた本を本棚に並べる。
ゆっくりと風呂に入る。
ちょっとだけ小説をひもとく。

明日は火曜日。
また新しい一日。


市川崑物語

岩井俊二による『市川崑物語』を見ました。

13日に亡くなった市川崑監督。彼の監督としての物語が、リメーク版『犬神家の一族』までたどられています。妻であり、制作のパートナーであった和田夏十さんの存在をこの映画でぼくは初めて知ったのではあるのですが、とにかく彼女が亡くなったあとも監督という職業を生涯現役で全うし続けるその姿に打たれる。登場する作品の数が半端無い。この職業映画作家としての作品数の多さも巨匠と呼ばれる所以なのでしょう。


もう、とにかく眠い

禁煙ももう少しで2週間。
しかしとにかく、眠い!
あまりに眠すぎて九時に帰ってきてさっきまで爆睡だった。なんかもう、会社の椅子に七時以降じっと座っていることが苦痛でしょうがない。じっとしていることができないんですよ。

寝ていても煙草吸う夢見るし。
で、夢の中で「うわっ、結局吸ってしまったガーン!」となって、その後悔のもやもやした気持ちだけが目覚めたあと残っている。

こんなに眠いなら正直言って煙草吸いながら生きていた方がいいんじゃないのか? 仕事の能率に響くくらいなら煙草に助けてもらった方がいいんじゃないか? という思いすらよぎり、猛烈にコンビニに行きたくなったりする。

……だが、ネットで検索してみると上に書いたようなことがまさにまさに、禁煙による典型的な禁断症状なのです。私はきわめてティピカルな禁煙患者なのです。

とりあえず今後の対策。

・コーヒーがば飲みを継続
・眠眠打破的な錠剤なりニコレット? は、やだなあ。
・禁断症状の情報収集

ってとこですか。


よく生きるためのヒント(生活編)

部屋に帰ってきてから風呂に入るまでの時間を短く
消耗品をけちけち使わない
かといって使い終わるのを急かない
朝は余裕を持って起きる
最低コーヒー一杯は飲んで家を出る
朝一から全ての行動を丁寧に
それは映画なのだ
家事はまめにやる方だ
週に一度はスーパーマーケットに行く
コーヒーの消費量が半端無い
メガネはメガネケースに入れる
会社に行くのではなく大学に行くと思う
(あらゆる事柄において「大学」という比喩には
強烈な浄化作用がある。そこには純粋に自主性と
いうものが宿っているからだ。このどうしようもない
人生を自ら選び取ったと錯覚するための方便)
テレビを見ない
ネットを見過ぎない
メモ魔だ
絶えずなにかを書いている
没頭しているときは人を寄せ付けないほどの気迫を発している
スモール・イズ・ビューティフル
平日×5日+休日×2日というスパンで考えない
もっと広く、リニアな視点で時間を見通す
全ての日は全て等しく価値がある
金曜日が土曜日になる瞬間も日曜日が月曜日になる瞬間も同じなのだ!
手こそが全てだ
量より質(食べ物から読書まで)
メールより電話
知識欲は旺盛に持とう、なにに関しても!


すき家から豚丼が無くなっているじゃないか!

牛丼は味が濃くてトッピングと合わないので好きではないのです。他のお客さんも「牛丼しかないの?」って聞いてた。米国産牛肉の輸入停止(あれって今どうなってるの?)によって誕生した豚丼ですが、意外とこっちの方が好きだという人はけっこう多いんじゃないの? と思った。

まあ、夜中まで残業して他にやっているところもないからって週4日も行くところじゃないけどな!

あしたも会社行こうかなー、どうしようかなー。

期日は決まっているのだけどやらねばならないことのボリューム感が初めての仕事ってわからないからあとどれくらいでできるかがわからないんだよな。でもとにかく手を動かすことだ!


Macのキーボードを変える

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といっても最新式のちょー薄っぺらい例のやつを買ったわけではありません。

G4に付属していたキーボードは歴代純正キーボードの中ではなかなか不評の部類に入るもので、とにかくキータッチが消音効果だかなんだか知らないがすんごいあいまいで、反動が強いから指は疲れるしけっこうミスタッチが多かったりしてしまいます。

上の黒いキーボードはもう何世代か前の、ちょうど世間をカラフルなマッキントッシュが騒がせていた頃のもの。そもそもぼくがMac好きになったのも、従兄弟が持っていたG3をいじらせてもらって以来。そういう意味ではなかなか初心に戻れるキーボードであるのです。

これはほとんどキーに反動がなく、さくさく打てます。かくかく打てると言った方がいいでしょうか。

ぼくにとってキーボードというのはほとんど文房具であって、その使い心地というものにはなかなかウルサイのであります。究極はやっぱりPFUなんでしょうが、いかんせんカナ入力の私には洋物を使いこなせる技はなく・・・。


異常な眠気

確かに一時まで仕事して三時に寝て八時半に起きて、という生活ですがやっぱり禁煙の最初のうちはものすごい眠気が襲ってくるらしい。

デスクで完全に寝てるときとかあります。

どうやら煙草の覚醒成分に慣れきってしまった体が疲れを感じやすくなっているみたいなのだ。なるほど。

1、2週間くらいでこれは治るそうだ。
先が長いなあ・・・。