月別アーカイブ: 2005年8月

「引き返す道はなかった」

矢井田瞳の新しいアルバム『Here today – gone tomorrow』、アマゾンで予約しておいたのがやっとポストに届きました。

こういうメジャーなアルバムは普通のCD屋で発売日前日の夕方に買えるので、発売日に商品が発送されるアマゾンで買う意味が全くないことに今更ながら気がつきました。届くの遅いよ。

感想はまたおいおい書いていきましょう。映画『きょうのできごと』の主題歌が入っているのがうれしいですね。

部屋が出来上がってきた~もんもんもん

ある時から「黒」を捨てて「白」を基調に家具を選ぶことにした。

なんと言っても今こうして使っているマックちゃんが白いので、自然とそれに合わせてマック的な部屋にしようというのが当初のもくろみだったのだけれど、それが案外うまくいった。

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↑書斎全図

机は高かった。二万円。ガス式で高さが調節できます。いまのところ座卓として使っているので一番低い位置に設定していますが、これがたとえばいいイスでも買えばそれに合わせて高くできるというわけ。

写真にも写っているけど、本棚も白。家から大抵の本はもう送ってもらったのであとは金にまかせて文学全集を詰め込む算段。もう生き甲斐はそれしかありません(笑)

休み中は例によって部屋で悶々としているわけですが、どうしてなのかなあ、仕事の不安が頭の中をもやのようにただよっていてなかなか「さあ休みだ!」という気分になれません。最近眠りがすごく浅くて夢にも出てくるし……それでまたこういう本とか読んじゃうからよくないのかも。

ごめんなさい、火がつきません(笑) 違うんだって、別にテンションを上げたいわけじゃないんだって齋藤センセイ! でも以下の引用はなかなか説得力があるぞ。

 理想的な新しい仕事が得られさえすれば”本当の自分”を活かせるなどと夢見ているのはあまりに非現実的だ。
私が提案したいのは、もしやりたいことがあるのなら、自分の仕事を少しずつでも本当にやりたいことに近づけていくことである。

そうだったそうだった、「そいつつずらす」は齋藤イズムの基本概念でしたね。ただし仕事そのものの内容を変えるといっても変えられる範囲は限られているわけだから、捉え方や見方をあたかもそれが自分のやりたいことであるかのようにずらしてていくことが大事なんでしょうね。

これって前にも書いたな、「どんな気持ちでやっても結果は同じなのかもしれない」って。ただいまのぼくにとっては「どんな気持ちで」仕事に取り組めばいいのかまだよくわからないっていうこと。感情人間なので気が乗ればするするといくんだけど、本当に今は会社の駐車場からロッカーに行く道々で吐き気を感じ、また日曜日の太陽が死んでいくのがこの世の終わりのように錯覚する。

それは今の配属先がどうこうというのではなくて、そもそも自分が「会社」「工場」というとんでもなく大きな組織の(これは本当に大きい、信じられないくらい大きい)中に組み込まれていくという事態に適応できていないのだと思う。それまで持っていた全能感がことごとく突き崩されていく――もっともそれは誰もが経験することらしいのだけれど。

一人で夕方、海まで自転車をこいだ。

そのあと寮に残っている三人でラーメンを食べに行った。おいしかった。

そういう環境にとりあえず今は感謝しよう。この部屋も好きです。

仕事上のミスがあいついだ

事象としては入力すべき数字を間違えたということなのだけれど、それがどんどん他部署とか工場につながっていってしまっているのでいろんな人に迷惑をかけてしまった。

千円の誤差でも人を待たせる。
ましてや○千万円も間違えたなんて。

ペーパーテストなら自分の間違えは自分が反省すればそれですむのだけれど、仕事上のミスは反省よりも先にやらなくちゃいけないことがたくさんある。それがおそらくは「実務」という世界が持つ性質。

それにしても皮肉なのは、失敗をして初めてその数字がどこから来てどこでどういう風につながって行っているのかがわかるということ。全部がわかるためには全部一度は間違えないといけないのか!? まいったね。

この三連休はどうしようかと考えていたらもう一日目の午前中が終わっちゃった。じっくり小説を書いたり読んだりしたいと思います。とりあえず目標とする締め切りが近いので!

なんの救いもなくカイトは……

ようやくDVD『リリイ・シュシュのすべて』を見た。

よくできた長いプロモーションビデオ? そう見えてしまうぼくは心が汚れた証拠でしょうか。

あれだけ殺伐とした出来事が繰り返されれば、なんらかのはけ口が必要とされるはず。それが収斂されていく必然性に、ちょっと説得力がなかったような。

でも「神話」に取り込まれればオールオッケー、なんだろうな。そういう類の排他性を備えた映画は好きです。あとはハマれるかハマれないかなのかな。ぼくにとっては小谷美紗子みたいなもんです。

同時代の空気(これもそろそろ過去のものになりつつあるけど)を背負っている映画としては『BORDER LINE』がおもしろかった、と書きたいところだけど、あんまり魅力を感じなかった。なんかもう、そもそものテーマを古く感じてしまう。

それはたぶん自分の中で今考えなくちゃならないこととして抱いているものがどんどん変わってきているためなんでしょう。あるいは、新しい問題に手を焼いているとも言える。

いずれにせよ、良い意味でも悪い意味でも暇のある人が陥りがちなテーマには興味がなくなった(それがノスタルジーを引き起こすんじゃないかという危惧がある。これについてはまた詳しく書いてみたい)。

ちなみに『BORDER LINE』でもカイトがすごく象徴的に使われています。考えてみればすごく深い意味を読み込んでしまいたくなる存在ではあるよな、カイトっていうのは。

・ 自由に空を飛び回っている(ように見える)
・ 実は糸で人が操っている
・ いやいや風が操っているんだ
・ むしろ人間がカイトを通じて風に操られている

などなど。

今週もあと二日、がんばろう!

ハプニングズ

昨日はてんこもりでした。

昼間、同期から「事故ってしまって車が動かないから迎えにきてくれ」との電話を受けて、びっくりしてかけつけるとやつはぴんぴんしていてよかったものの車は前の部分がぐしゃぐしゃ。車同士でぶつかったみたいなんですが、相手方のほうも体は無事のように見えたもののもうなんか相当なショックを受けたみたいでほとんどしゃべることができないような状況でした。

もー、やっぱり茨城は運転危ないよ! 車ってあんなになってしまうんだ、とちょっと自分でもショッキングでした。改めて安全運転ですね、悪いところまで茨城に染まってしまってはどうしようもない。

夜は隣町(あっ、最近「市」に昇格になったんだっけ)お祭りを見物に行きました。ちょうど山車とか踊りとかがクライマックスのところだったのでいいところを見られました。「大国主命」のでかい人形が乗った山車の下でヤンキーが狂ったように踊っている、という図でした。いいですよね、たまにはああいうのも。

今日は水戸まで美術館を見に行ってこようかと思います。こっちには本当に知的刺激というものがありませんので……。