筑摩全集類聚『太宰治全集』11

を、読みました。

11巻は書簡編です。太宰自身は口を酸っぱくして、作家の楽屋裏で鬼の首を取ったかのように騒ぐのではなく、作品に全てがあるのだ、ということを言っていましたので、特段、ここに収められている手紙を覗き見たからといって、新しい作品論を展開しようとは最初から思っていません。ただ、なんというか、戦後の中堅作家として確実に歩を進めていく中でも、近親のものを気遣ったり、あいかわらず出版社に金銭を無心したり、子供心配をしたり、先輩作家には丁寧に丁寧に心のこもった手紙を書く一方で、後進の若い作家たちにはダメなものはダメ、良いものは良い、そしてとにかく生活を立て直して頑張って行けと叱咤激励する面もあったりと、一人の作家が生活していく生の声が聴こえる一つの例証として興味深く読みました。そして、多分ここに納めろられていない膨大な書簡がまだあるのでしょう。

現代作家が今後全集を編まれるということは無いのかもしれませんが、あったとしたらEメールなんかが掘り起こされてしまうんでしょうかね。安部公房は死後、ワープロに残っていたファイルが全て全集でさらされていたように記憶していますが、全集のあり方もプライヴァシーの問題含め、変わっていくのかなあ。手紙の著作権ってどういう理解になるのかしら。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA