筑摩全集類聚『太宰治全集』9

を、読みました。全集の構成としては、小説を収める最後の巻になります。すなわち、「斜陽」があり「人間失格」があり。それにしてもこの二作は本当に、何度読んでも圧倒されます。今回で、何度読んだことになるのかわかりません。今回、全集を編年体で通読してきて思うのは、「斜陽」をあそこまである意味では時代への挑戦状のような形で終わらせておきながら、かず子のその後を何故書けなかったのか。書くべきであったのに、直治に何かを仮託し、あるいは「斜陽」のすぐあとの「おさん」でも正妻の立場から同じような状況を描いてみせ、そうして作品の中で擬似的に自殺を図っていきます。それが「人間失格」へとつながっていくのであれば、大げさに言えばもう少し「斜陽」からどのような思想的変遷を経て「神様みたいないい子」の語につながっていくのか研究があってもいいように感じます。

それにしても、スマホ片手にあると色々と語句を調べながら読めるので便利ですね。当時の地名とか、今は変わってしまっているのでいろいろ勉強になりますし、あと気になるのは呉清源なんかよく出てくるんですよね。「津軽」かなんか忘れましたが、青森の実家に訪ねてくる話が出てきたかと思えば、「女神」の冒頭で引き合いに出される璽光尊事件って、双葉山も関係しているのでセンセーショナルな事件として報道されていたようですが、呉清源も信者だったようです。

あと、人間失格で長々引用されるルバイヤートの詩って、堀井梁歩という人の訳なのですが(作品の最後にもわざわざ注意書してあります)この堀井という人も大正期に農民解放運動などやっていた相当に癖のある人で、この訳書も私家版として出版されたものらしいのですが、なんでそんな本を太宰が持っていて相当な行数を引用したのか……という作品成立の経緯も非常に気になります。先行研究など、あるでしょうから知っている人は教えてほしいのですが……。

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