濱口桂一郎『働く女子の運命』

を、読みました。

「女性/総合職」の問題にまでおよぶ女性の働き方についての歴史的な変遷も含めた論考となっています。文春新書ってあんまり読まないんですが、これはいい本でした。結局題名にもある通りこれまで──というのは、戦前まで遡る「これまで」ということになるのですが、働く「女性」とは「女子」であり、夫があり子供がある「女性」が働くことについてはむしろ問題にすらされてこなかった歴史的背景には、まず知識として知っておくべきものが多くありました。良くも悪くも、雇用というのは雇用する側の都合でしかないというのが、まあ自由主義といえば聞こえがいいのかもしれませんが、放っておけば効率という名のもとに使いやすい人間だけを使いまくって終わる、ということになりかねません。女性の問題は、結局は男性の、あるいは「総合職」の働き過ぎが必ず裏についてまわるというのも、悲劇といえば悲劇。

理想を言えば、夫婦共働きで、個人個人が個人の能力に対して賃金が支払われる社会が良いのでしょうが、保守的な言い方をすれば夫婦が同じ家に住んでいることを大前提・大原則とするならば、日本中の会社が中途採用を積極化し、メンバーシップ的な会社のあり方を辞め、社員の出入りをもっと自由にするということが求められるんでしょう。たとえば夫婦で九州で働いていて、夫が東京に転勤になった時、九州に夫婦として残りたければ夫はすぐさまその会社を離れて九州の会社に転職できるような(そのことになんの罪悪感も無いような)、あるいは東京に夫婦の基盤を移すならば妻が東京に転職することが容易な社会とでも言うんでしょうか。

もちろんそういう社会が到達した時には、仕事も家庭も同等に男女が負担する代わりに、賃金も、これまでの一般的な男性正社員は相対的に下がってもしかしたら扶養家族を扶養できないレベルになってしまうのかもしれない。でもそれが、これまで家事労働を女性に社会全般が押し付けてきたツケなのだろうし、一方で男性は自分の会社での労働時間を制限して家事を家庭から「奪還」しなければならない、そういう義務すら負っている。本書では、そのためには「ワークライフバランス」という言葉だけを換骨奪胎せず、制度として、厳しく男女問わずに労働時間を制限することがまずは条件だと言っています。

ぼくもこのブログでは何度か書いているかもしれませんが、とにかく総合職が胸を張って定時に帰宅できる会社・社会。これをいかに実現するかなんですよね。なかなか解がなくて難しいのですが、引き続き考えていきたい課題です。

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