決定版三島由紀夫全集第1巻

を、読みました。所収は「盗賊」「仮面の告白」「純白の夜」です。

「盗賊」はようやく最後の一文に到るところで、なぜこの小説の題名は「盗賊」なのだろうという疑問を一気に氷解させる手腕が清々しい佳品。異稿や創作ノートに触れるにつけても、相当に作者が難儀し、何度も書き直しと構想の異動を経て成立した苦心が伺えますが、まさに処女作として名高い「仮面の告白」への精神的な準備というか、作家三島由紀夫前夜という感じが非常に色濃い印象でした。

「仮面の告白」は、もう何度読んだかわかりません。雪の日の朝の近江の孤独、ラストシーンの日の輝きは何度読んでも、本当に何度読んでも胸の奥をぎゅっと掴まれる感覚になります。大好きな作品です。

「純白の夜」は渡辺淳一の「失楽園」……といったら順番があべこべですが、登場人物のキャラクターがそれぞれ立っていて、存分に読み応えのあるものでした。

さて、今年春くらいから読み進めてきた三島由紀夫全集ですが春の雪から逆流してきたため、とりあえず長編小説部立の14巻までを読了しました。それにつけても三島の作品を読んで感ずるのは「豊穣なる不毛」の一言につきます。

艶やかで、端正な文章の連なりはあまりにもおびただしいけれども、それは結局何を表現していたのか? そんな疑問すら愚問として笑い飛ばしてしまうようなところが三島の作品にはあります。

無論、「不毛さ」とは作品のそれではなく、そこに描かれる人間たちの「不毛さ」なのですが……。

ある種の作家にあるような倫理観や政治性や(ねらった)芸術性のようなものは三島の作品には皆無で、それによって何かの役に立たせるとかそれによって明日から生き方が変わるとか、見方が変わるとか、そういう日常生活の連続性に刺激を与えるようなサービスは一切してくれません。

三島自身も書いていますが、本当の芸術とはもっともっと途方もなく遠いところへ読者を連れていってしまう、その恐ろしさをよくよく噛み締めなければならないのです。その読書体験の結果、廃人になろうともそれは作品の罪ではないのです。

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