決定版三島由紀夫全集第9巻

を、読みました。所収は「愛の疾走」「午後の曳航」「肉体の学校」。

「愛の疾走」は諏訪を舞台とした恋愛小説。ただし半ば小説を書く小説になっているので、ちょっと太宰治を彷彿とさせる。解題にもありますが、こういう地方恋愛ものというのを三島は結構書いているのですが、いずれも結構綿密な取材に基づいています。創作ノートは見つかっていないようですが、諏訪のお祭りをよくよく取材した上で作品に取り入れているのだろう、ということが充分に想像がつくくらい書きこまれています。

「午後の曳航」は三島作品の中では中堅に位置すると思いますが、やっぱり終わり方が唐突で気持ち悪いです。所収の創作ノートでは結構違うプロットが描かれていますし、睡眠薬で死ぬときの体の反応が事細かに箇条書きされています。それらを本文へ一切書き込まなかった意図はなんだったのでしょう? やはり海の男が「殺される」というのは作者として納得がいかなかったのか……陸の男として主人公を描くことにもはや興味を失ってしまったのか(殺すことすら億劫で!)。本作を三島自信がどう評価しているのか気になるところです。

〈…〉この街の非現実感は、街のすべての機能が航海にだけ向つて働き、一つ一つの煉瓦までが海にだけ心を奪はれ、海がこの街を単純化し抽象化してしまつたお返しに、今度は街が、その機能の現実感を失つて、ただ夢に気をとられてゐるやうな姿に化してしまつたためにちがひない。

というところとか、空っぽのプールの描写とかは特に印象に残ります。

「肉体の学校」はゲイバーのボーイを身請けしてなんちゃらかんちゃらという話なのですが、非常に「劇」的で、映像化されることを充分に狙って書かれているように思えます。我が脳内では財前直見と成宮寛貴で再生されていましたが……。

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