あなたは静かな生活を始めなければならない。
そもそもあなたの選択肢には禁じ手しか残っていなかった。あなたの役割は終わろうとしている。いやもうとっくに終わっていたことにあなたは気がついてもいなかった。ふと気づけば、音もなく、消えていた。
もう一度言おうか、あなたは静かな生活を始めなければならない。
煙草を吸って悲愴ぶることも、酒を飲んで息巻くことも、もはや必要ない。ただ一切はあなたの前から過ぎ去った。それだけだ。時が経ったのだ。
喪に服さずとも、あなたはあなたの所に戻った。あなたはあなたのためだけに生活を続けていけばよい。もう他のことは考えなくとも良い。あるのはただ、深く深く大きな海のような諦念、それだけだ。
あなたは主張しなくとも良い。感じたままを受け入れていけばよい。誰かに自分を良く見せようとか、言葉で傷つけてやろうとか、あるいは自分を言葉を追い込んだりする必要もない。そういった季節は過ぎたのだ。
鼓舞、誇張、過剰を一切捨てよ。白磁のような、なんの模様も必要ない毅然とした立ち姿だけを矜持とせよ。そこから紡がれる言葉は静かで、さざ波のようだろう。大きな声にかき消されるだろう。濃い色彩には侵されるだろう。それで良いではないか。なにを戦う必要があるのか。「余計なお世話だ」と、切り捨ててしまえばいい。
誤解を恐れずにいえば、あなたはあなたのためだけに生活を続けていればそれでよいのだ。それ以上を望めば、渇望はまた生まれるだろう。上質な数少ない道具で、相変わらず誰にも影響力のない言葉を書き続けていけばいい。それは、とても素敵な人生ではないか。それはとても幸福な人生ではないか。
いつかあなたはあなたのノスタルジーを全て紙に写し取ることに成功するだろう。そこがあなたの死の位置だ。まずはそこまで進もうではないか。それがあなたにとっての新しい誕生にもなるかもしれないではないか。けれどそんな期待は今はいやらしいものだ。
ポリシーは単純な方がよい。大きな声を立てている人間を一切信用するな。大きな声に耳を貸すな。小さなささやきをこそ、聞き取るべきだ。ましてやあなた自身、大きな声を張り上げるためにこの世に生まれてきたわけではないではないか。そのことを銘記すべきだ。
だからもう焦る必要はない。ただ丁寧に。拙速さよりも、むしろ時間をかけることに主眼を置くべきだ。いまないものを求めて猛者になるな。あなたの今、目の前にあるものを慈しむこと。
その傲慢さを謙虚と呼ぶのだ!
「大人になることとは、何かを諦めること」ですから。
欲張りは、子供の特権なんです・・・。
そういえば発達心理学で今でも覚えているのは、子どものころ持っていた全能感を失っていくのが大人になるということ・・・。