腐った想像力など捨てた方がいい



最近の「勝ち組」「負け組」もそうだけどレッテル張りして思考停止に陥ることの恐ろしさを感じました。著者は性転換手術をし、雑誌のモデルとしても活躍しているある女子大生。その自伝です。

想像を絶する世界、というのが正直な感想。母親との葛藤、男子校での生活、大学に入って最初の健康診断のくだりなど──。

けれど下手な想像力で「こんなもんなのだろう」と決めつけてしまうことをしないで良かった。それは、あらゆる事に当てはまるんじゃないかと思う。

「いつ、目覚めたの?」と聞かれるのがキライだというのが目から鱗でした。性同一性障害というのは、ある時点で自分は男(女)ではなくて女(男)なのだと気づくものではなくて、本人は生まれたときから女(男)として存在しているのであり、身体の方がどうやら自分のジェンダー・アイデンティティとちがっているということに苦しみ始める。当人にとっては当たり前のことが周囲からは奇異の目で見られる。そのことが一番「発見」だった。

わからないことなら理解しようとしさえすればいい。白旗上げて、かっこつけてないで、耳を傾ければいいじゃないか。そういう姿勢さえあれば、人は生きていていいと思う。

人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。(スーザン・ソンダク『良心の領界』)

 

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