昨夜は二時まで同期とだべっていたので午前十一時にご起床。
コンビニでサンドイッチを買ってきてさっそく豊島ミホに取りかかる。
あまりにセンスのない表紙イラスト・装丁にびびる。中を読んだらお兄さんは日光に当たると死んじゃう病気で、そいつが主人公の女子中学生と逃避行する話。わー、こう書いちゃうととっても面白くないんだけど、やっぱり『底辺女子高生』で家出話を読んでしまったあとなので作品そのものというよりはあの作者がこんな話書いてるということに興奮。
次。
今度は毛色が違って親父が野生児を育てていて主人公の女の子が「汚い大人になんかなりたくないっっ」って野生児に感情移入する話。特に面白くない。
次。
これは最近映画になったやつです。底辺女子高生にだいぶ取材している作品。なんとも甘酸っぱい。完全にコバルトです。
実はあまり感心していない、個々の作品そのものについては。
ではなぜ豊島ミホを読んでしまうかというと、この人の自身の高校時代への限りない哀切さを、それだけを武器に小説を書き続けているというその姿勢に学ぶところが多いから。
ぼくにとっては大学に入ってからのことをネタにすることが多くて、豊島さんの高校時代の一つ一つのエピソードからその記憶力の良さ──というか、人がなぜそれを今日に至るまで記憶していられるのかということに、ひどく救いのなさみたいなことを感じる(失礼、ある意味でそう思うのです)。
なぜこのモチーフでこの作者は繰り返し書き続けるのだろう。それは逆にぼく自身に対しても突きつけられる疑問です。なぜそうまでして記憶をさらすのか? さらさずにいられないのか? さらさないと自分を保てないのか?
その苦しみが、豊島さんの描くもの──というか、豊島さんがそれを描き続けているという事実に、勇気づけられはしないがなにかこう、ぼく自身と共有するものがあるんじゃないかと勘ぐってしまう。
まあ、この辺にしよう。
で、お夕食の時間です。
同期とココスに行ってくる。
帰りにTSUTAYAに寄ったら別の同期に会う。
で、帰ってきて今キーボード叩いています。
豊島デイズ残り三冊。これは明日感想を書けることでしょう。
ではまた明日。
いいねぇ、TSUTAYA同期地獄。