ここ最近、だいぶ波が激しい。
昔から感情の波の高低が激しいのは自覚していて、それは病理的なレベルのものではないのでまあなんとか自分の中に押し隠していられる。人から「気分屋」と指摘されることはない。一見平穏な人間が心の奥底まで平穏かといったらそんなことはなく、でもなかなかそのことは人に言っても理解されることはない。表現していないから当たり前だ(ところでぼくはハッピーエンドの小説を書いたことがない)。
しかし感情の表現はぼくにとって醜いことであり、その倫理観は特に人と相対しているとき遵守される。それは”クール”ということではないのだよ。
十四歳になった春、信じられないことだが、まるで堰を切ったように僕は突然しゃべり始めた。何をしゃべったのかまるで覚えてはいないが、十四年間のブランクを埋め合わせるかのように僕は三ヶ月かけてしゃべりまくり、七月の半ばにしゃべり終えると四十度の熱を出して三日間学校を休んだ。熱が引いた後、僕は結局のところ無口でもおしゃべりでもない平凡な少年なっていた。
(村上春樹『風の歌を聴け』講談社1979)
しかしとにかく、みんなで集まってワアってもりあがってそこで大言壮語したあと、一晩眠ったあとが酷い。これまでの人生のあらゆる負のイベントに味わった感情がよみがえり、これから先に予感される負のイベントに味わうであろう感情が先に訪れる。それと全く逆のことをつい数時間前に味わっているだけに座標軸のプラスからマイナスへの高低差は時には耐え難いものとなる。
「こう 波みたいにガーッときて
かと思ったら すーっとひいて
それがずっと くりかえし 続くだけさ」
「時々 大波が来て 心臓がねじ切れそーになってのたうったり
叫び出したくなりそーな夜とかが
周期的にやって来たりするけどね」
「ま
そんだけの話。」
(羽海野チカ『ハチミツとクローバー』第7巻、集英社2005)
と、たばこを吸いながら”クール”に放つ花本修の実際にのたうったりする夜の場面は決して描かれない。人生が自分以外の観客を持つステージなのだとしたら、ぼくは楽屋の様子にしか興味がないのかもしれない。あるいは、自分の楽屋にこそ人がどかどかと入ってきて慰めてもらうのを期待しているのかもしれない。それは、単にただ、醜いだけだ。ぼくはそう判断する。
劇的である必要はないが、劇的に仕立てる必要もないが、それでもななおそういう虚飾に対する拒食性が劇的であってほしいと願うぼくは本当に救いようがないのかもしれない。
そう思って、昨日の午前三時くらいまではこの状況について何も書く気にならなかった。対象との距離を生み出すための筆致はそれでもある程度の時間的な距離を要する。それを待たずして書き始めようとするときの外科手術的な焦燥もまた、実際のところ耐え難い苦しさではあるのだけれど。とにかく、もう一晩眠ってみて、いま感じるのはいつも通りの心地よい絶望感の底。しかしそこは常にぼくの出発点でもあるのだ。
しかしながら……。
おびただしい量の風景画は 全て
たった ひとつの構図だった
2人は 小さな村の この大きな古い家の中で
静かに 出口を 失って いったのだ
(羽海野チカ『ハチミツとクローバー』第2巻、集英社2005)
ここでこうしてキーボードに向かっている。
感情の定点観測は終わりを知らない。きっこれは死が訪れるまで続く。「出口」など最初からないのだ。
一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。
(村上春樹『1973年のピンボール』講談社1980)
村上春樹のその願いは実現されたのだろうか?
そもそもぼくは「出口」なるものを所望しているのか?
しかし出口の見える入口に立ったとき、人はちゃんと出口までの行程を踏むことができるのだろうか? 結局のところ原理的に我々の目には入口しか見えないのではないのか? だからこそそれがあるにせよないにせよ出口を渇望するのではないのか?
たとえ話はこれくらいにしておこう。
いずれにせよあり得ないと思っていた社会人三年目を迎えました(それを言いたかった前口上です、上のは全部)。「やる気なんてあってもなくても仕事の結果は変わんねーよ」とついつい言ったら「三年目の意見ですね」と後輩に返された。それは良い意味でも悪い意味でもってことなんだよな。少しずつ室内での自分の立場も変わってきました。変わらざるを得ないという一面もあるし。しっかりとセルフコントロールできるようになりたい。なんかまとまりがつかないので、以上。
ん~。
私にはムズカシイオハナシで、途中から読むのを
すっ飛ばしちゃいましたが
なかなか考え深いですねぇ。
ぅんぅん。
ぼくも考えながら書くという感じだったのであんまりまとまってないですわー。
読んでくれてありがとっ。
風の歌を聴け
村上春樹のデビュー作である、「風の歌を聴け」。
コレがデビュー作なんて考えられないほどのもう完成された春樹ワールド。
そしてときおり見せる言葉のかっこよさ。
それが村上春樹の面白さであり、そんな言葉が文学である。
村上春樹は一度はまると抜けられない居
1973年のピンボールのこと
1973年のピンボールのことや、関連する情報を紹介しています。