ロハスロハスってうるさいんだよ!

時間は限られている、ということにもっと自覚的になろうと思う今日この頃です。時間が限られている、というのはもちろん人生は一度きりしかないんだっ、という意味もありますけどとりあえず今のところ考えなおさなければなあと思っているのは休みの日の過ごし方です。

金曜日の夜、会社の門をくぐってから日曜日の朝また同じ門をくぐるまでの間、なにをなすべきなのだろうか?

なんてカントばりに問いを立てなくてもいいんですが、まあそれにしても最近いろいろ思うところがあって、その土日という二日間を「余暇=余った時間」として認識することに非常に抵抗がある。

このことは先週も同期と酒を飲みながらわんわんやって(飲んでいるうちに泣き上戸が復活して)、その時は「いや、そんなにくそまじめになんなくてもいい。休めるときは休め。遊ぶときに遊べない人間はバカだ」とかなんとかそんなような内容のことを言われたんですが、でもやっぱりのどの奥に小骨が刺さっているような感覚がまだ残っていて……。

たとえば音楽を例にとってみる。

平日は我慢しなくちゃいけないたとえば好きなアーティストの新譜とかを土日に聞く。それだって48時間ずっと聞いている訳じゃない。本だって読みたいしコップだって洗わないとコーヒー飲めないし乾燥機から洗濯物出さないと人の迷惑になるし郵便局や銀行やに野暮用もあるし――なんてことを勘案するとですな、なかなか学生の時のようにウォークマンに酔いしれているなんて至福の時間が無尽蔵にある(かのように見える)わけではないっちゅうことですよ。

で、まあ話を小説を書くということに持って行くとさ、やっぱり歌詞のある曲を聴きながらって言語分野の創作活動は無理なわけよ、集中力持たないわけよ。だから好きな音楽聴きながら小説を書くなんて高等なことはぼくにはできないのよ、っていうか三島由紀夫大先生もそんなようなこと書いていたよ。なにが言いたいかってうとさ、有限の時間のなかでは(時間が有限であるということを認識したら)やりたいことを全部やるなんていうのはとうてい無理だっていうのが最近やっとわかってきたのよ。余分な時間なんて1秒もないのよ。今日はひまだから空でも眺めてるかー、なんてことはできないのよ、ぼくにゃあさ!

やっぱりお金の問題もある。面白そうだと思った本は片端からワンクリックで買ってしまう。で、けっきょく読み切れない。読み終わるという既成事実を作るためだけに目の玉をぎょろつかせながらページを急いで繰る。それで結局そういう本はどこにも線を引きたくなるようなところがなくって本棚を汚すのもいやだからゴミ箱行き、というわけです。

これではだめだ!!

これでは本当にだめだよ、自分!!

というわけで、最近ロハスロハスうるさいけどさ、べつにそれを意識するわけじゃないけど以下覚え書きです。

・小説執筆中は集中力を高めるためにクラシックBGM(なるべく優先)
・歌詞のある音楽は行き帰りの車のなか中心に。
・iTunesの主目的は車のなかで聞くCDRを焼くこと
・アマゾンでの買い物は最終手段とする
・なるべく東京の本屋にまで足を運んで本を買う
・っていうかむしろ本屋で選ばなくてもいいような古典を読書生活の主軸に添える。cf:ショーペンハウエル「読書について」
・パトリス=ジュリアンの著作をもっと読み込む。読み込むだけじゃなくて実践する。
・今ある本をもう一度読み返す。ルネッサンス読書。
・小遣い帳またつける?
・蔵書データベースでもつくる?
・作るんならアップルワークスよりはエクセルがいいなあ

以上、まだまだ20代前半なのに中野孝次ばりに老け込んできた管理人でした。これはたぶん中学時代に受けた国語教育の強烈な倫理観が(小泉信三とか森?外とか丸山健二とか好きな先生だったのよ!)ぼくのスタイルの根幹に居座っているっちゅうことです。

まあこういうことを考えないと「フルタイムライフ」に新生した甲斐がないので、今後は積極的に今日みたいな記事を書いていきたいです。

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