スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』

『ソラリス』は中身に関係がなく思い出深い作品だ。ぼくが持っているのはもちろん沼野充義ではなく飯田規和による1977年版の方。奥付は1997年の24刷とある。1997年にぼくは中学三年生で、当時好きだった女の子がこの本を薦めてくれた。彼女もまた学校の教師にこれを薦められたのだったと記憶しているけれど、今となっては中学生にレムを推薦できる教師がいるあの学校のレベルはさすがとしか言いようがなくて──もちろんぼくの通っていた男子校とは訳が違うということだ。

まだまだいかがわしかったころの川崎駅の中に入っている有隣堂に行って、書棚を探したけれども目当ての本は見つからず、問い合わせのカウンターに行って取り寄せをお願いした。本屋で取り寄せてもらうということも初めての経験だったし、売っていない本も買えるという新しい楽しみを発見することができた。単純だがそれは一つの扉を開いたかのような感覚を15歳の少年に与えた。それでもそのころは文庫本一冊取り寄せるのにも二週間くらいは必要で、だいたい夜の変な時間に家に書店から電話がかかってきて「入荷したのでいつでも取りに来るように」という連絡があるのだった。アマゾンなんかまだ影も形もなかったころの話だ。

いずれにせよ、典型的な宇宙人の造形ではなく「海」という形態の地球外生命体=巨大な液状の脳みそのような──とのコンタクトという設定の斬新さと、このスタニスワフ・レムといういささか発音のしにくい特徴的な名前は当時のぼくの脳みそにしっかり刻まれることとなった。

次にレムの名前を目にしたのは、大学生になってからだ。2002年に、まさにこの『ソラリス』が映画化された(アマゾンの書影はその時の映画のポスターがもとになっているけれど、もちろんぼくが持っている表紙はもっと前のものだ)。その時には世間的にずいぶんとこの奇妙なSF作品が名作として紹介され、再発見される機会が多かった。ぼくはロシア語を第二外国語として学んでいたため、このポーランドの作家の存在は、あらためて身近なものとなった。キリル文字で書かれた「ソラリス」──発音としては「サリャーリス」に近いのだろうけれど──を見ては、ひとり悦に入ったものだった(もちろん原語はポーランド語だが、飯田訳はロシア語版からの重訳)。

そして本屋に行けば東欧、ロシア語圏の外国文学の棚に必ず足を運んでいた日々の中で、『虚数』といった他の作品が翻訳されてることを知り、2004年には国書刊行会から「レム・コレクション」の第一弾として沼野充義訳の『ソラリス』が刊行されたのを書架で見つけ、さすがに貧乏大学生の小遣いではおいそれと手が出なかったものの、その表紙に描かれている波の絵や、都会的な装丁は憧れさせた。渋谷のブックファーストでの話だ、あの巨大な旗艦店も無くなってしまった。そういえば沼野先生も一度だけたまたま研究室に足を運ぶ機会があってお見かけした。今となってはいい思い出だ。

レムの名前はぼくの中で、そのようにして確実に育っていった。特に『ソラリス』以外の作品に手を伸ばしたわけではないのだけれど、なんとなく、15歳でレムを読んだのだということが自分の中で埃のように誇りとして沈殿していった。ぼくの外国文学体験は、14歳の時に「レ・ミゼラブル」と「ジャンクリストフ」に圧倒されるところから始まったのだけれど、そういう岩波的文化圏の外にも豊かな世界があるということを早くに知ることができたのは、かつて好きだったあの女の子に感謝を述べるしかない。

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