夢野久作『ドグラ・マグラ』(青空文庫)

を、読みました。

これもまた再読。一度目は大学の時にまさにこの『ドグラ・マグラ』を解説してくれる授業があり、読んだことがあるのですが、正直読めたとはとても言い難い感じでした。これはやはり五回くらい読まないと、しかもノートを執りながらでないとなかなか理解が難しい。とにかく入れ子に次ぐ入れ子構造。そして決定的に不可解なのが本書の題名が『ドグラ・マグラ』になってしまっているということ。ここにどれほどの意味があるのかがいまだによくわからない。

設定としてよくできているな、と改めて思うのは主人公が記憶喪失状態から始まるという点。考えてみれば、ぼくたち読者は新しい小説を手にするとき、いつでも記憶喪失状態から始まるんですよね。どんな世界観が、どんな登場人物が文字を追うごとに展開されるのか、それを楽しむために読者はページを繰っていくのですが、それを逆手にとって自分が知っているはずの人間から、自分との関係を一方的に定義づけられることの恐ろしさ、それを記憶喪失という状況設定にしてまず入れ子の壁をしっかりおったててしまうというのがスゴイ。アルジャーノンを先取りにもほどがあります。

結局、作中に出てくる文書を読んでいる自分と主人公が同じ時間を共有しながら、さて目を上げるとまた違う展開が待っている。けれどそれさえ「作中」という文字の世界の話なのか? それをすべて外側からかっこで永遠にくくり続けるのがこの「ドグラ・マグラ」という作品なのか。作品という世界というよりは、永遠に外部へ外枠が延長していくその永久運動が「ドグラ・マグラ」という文字で書かれた前衛芸術なのか。そんなことを考えていると確かに頭が狂いそうになります。

ツイッターに出ている「ゆるふわドグラマグラ」というのが意外と理解の助けになったような・・・
あとこういうの⇒https://yumenoyume.com/book/dogramagra001/とか、自分で整理したらいいのだろうけどねえ。映画版もあるようなので、ぜひ見てみたいですね。いずれにせよあと何回読めば理解できるようになるのだろうか・・・。

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