北西憲二『はじめての森田療法』

を、読みました。既に講談社現代新書にはその名も『森田療法』という先行する本もありますが、世代替わりとでも言うのでしょうか。新書の値段で森田療法に触れられる機会はなかなかに少ないのでこういう企画は助かります。森田療法はやはり症例を読むことで理解が深まります。ぼく自身はあの凍てつくような季節はだいぶ過ぎ去ったと思っていますが、それでも思考の原型がこの本で言うところの「理想の自分」にとらわれすぎている頭でっかちな自己を今もなお厄介なもう一人の自分として付き合っていかなければならないことに辟易することしばしばです。この本の白眉はやはり、そういう自分をとりあえず棚に上げて、事実唯真、とにかく目の前の現実から逃げずに一つ一つの課題をこなしていくことの手をまずは緩めないで、なおかつ理想の自分みたいなものを削っていく=「こうあるべき」の手綱を緩めてやる、というのはつまりダメダメな自分を受けていれていくということなんでしょうが、そうやっていくうちに、ダメダメな自分を受け入れていく自分のかっこよさというか、ある種のあきらめを持って道を開いていく、その二つの運動を一緒にやっていくことが大事だと訴えている点でしょう。バランスの良い入門書です。


有給ゴルフ

有給を活用して会社の年齢近い人達と千葉まで行ってきました。台風の谷間で天気も良く、非常に良かったです。

スコアは142でした。個人的には随分と景色が変わってきました。ある程度振れば前に飛ぶ確率が上がってくると、打つ番手も気にできるようになり、この距離だったらこの番手でどのくらいの強さで……というのが、まあそれがゴルフ本来の楽しみなんでしょが、そしてそのいちいちが自分の身体能力を期限とするオリジナルな感覚なので、最終的に決めるのは自分である、というこの感覚もまた面白さの一つなんだろうな、と。ロングアイアンを扱えるようになりたいのと、パターの練習も必要だなあ……。

会社の年に一度のコンペに参加できるくらいのレベルであればもう少し頑張ればなんとかなりそうな気もしてきました。あと一ヶ月ちまちま頑張るとこにします。しかし飛ばせる人はすごいね、飛ばすよね。でも問題はやっぱりトータルなのでパターも同じくらいの精度が問われる。だんだん、面白さがわかってきたような気がします。


筑摩全集類聚『太宰治全集』1

を読みました。

太宰にかぶれたのはまさに中二の時でしたが、あれほど一人の作家に熱中したのは本当に後にも先にも太宰だけだったように思います。ただ、以来読み返すことはあまりなくて、というのも、たぶん若かった時の自分の読み方を思い出すのが気恥ずかしいというのもあったのかもしれません。あらためて、今自分が三十歳を越して、家庭を持って、どんなふうに読めるのかを確認したいというのがまず目的としてあります。本当に、家庭の幸福は諸悪の本なのか……云々。

太宰が死んだのが38歳の時で、それがほんとうに信じられません。あれだけ多種多様な、ほんとうに千変万化の色彩の作品群をこれだけ短い作家生活の中で生み出したのは本当にすごいことだと思います。しばらく、その世界で楽しもうと思います。

しかし「虚構の春」はおもしろいね。作家としての太宰治を最大限演出することをまた一つの小説にしたててしまうのだから、こういう芸当は本当に小説ならではだと思います。


なぜ

先週できたことが今週できないのか? あんなに自信たっぷりにブログに進捗報告までしたというのに……! しかもちょっと晴れたからいそいそと練習場に行った途端に大雨で、三階はめちゃくちゃ降り込むし、また晴れたから帰ろうと思ったら急に土砂降りで結局小さい折りたたみ傘さして帰ったけど全身ずぶ濡れになったし。傘さしてるのに頭が濡れるってどういうこと??

というわけで、散々だったわけなんですが、短く持つところまでは良いものの、腰が落ち着かないというか、低姿勢をキープできなかったのが敗因かもしれません。あとあんまり振りかぶらなくても、そこそこで打ったのと同じくらいの飛距離だし、7Iってあんなものなのかしら。

ああしかし、できないと思うと急に焦ってまたドツボにはまっていくのが本当に良くない。精神状態が最悪でも再現性を高めるにはもう今年のテーマである「ゆっくり」を導入するしか無い。とにかくゆっくりだぞ……ゆっくり上げて、ゆっくり下げて、それで充分なんだぞ……。


新潮日本古典集成『萬葉集』五

万葉集これにて読了!!

16巻以降は家持の個人史と深く結びついているという解説を読んでから読めばよかったと思った夏の日でした。通読すると、いわゆる市販されている万葉秀歌みたいなので拾い読みするよりもずいぶんと山あり谷ありというか、遠近感のある読書体験になったような気がします。枕詞にもだいぶ詳しくなったし。引き続き、新潮古典文学集成読破に向けてちまちまやっていきます。


ゴルフ進捗

なんとなくコツを掴んできたような気がする。

とにかく短く持って、膝をフンワリさせれば当たる。とんでもない方向に行くということはなくなったし、ドライバーに対する恐怖感も随分と薄れてきた。いろいろ指南本やyoutubeで上がっているちょっとしたアドヴァイス動画なんかを見ているうちに、ひとつひとつの言葉と、自分の体の動きとがマッチしてきて、何が一番自分に足りていないのかがだんだんわかってくる。打ちっぱなしに行ってうまく行った時にいろいろメモしておくことも大事だと思った。

最近「開眼」したのは、ゴルフは振り子ではなくてブランコだという言葉。振り子じゃ確かに自分自身では振れないし、そのイメージてやってしまうとトップからいきなり全速力で振り下ろさないといけないような感じになってしまう。そうではなくて、漕ぐイメージ。それは、トップから下ろしてくる時にグインと加速をつけるようなイメージ。漕いで漕いで、ゆっくり落ちてきたものが加速していくような感じ。これは、ある本では「ムチを振るう」と表現されていましたが、当時その表現ではぼくはピンときませんでした。もちろんこの「ムチ」という言葉に対する違和感を感じていたからこそブランコの例えが理解できたとも思うのですが。

そんなこんなで、ちょっとずつ前に進んでいっています。短く持つのはもう、自分にとってのデフォルトとして諦めます。それで特に困らないだろうし。


ジョン・アーヴィング『熊を放つ』

新婚旅行で行った動物園が舞台となっている小説ということで読んでみた。勘所は役者村上春樹のあとがきにある通りで、詰め込み過ぎた若書きがとにかく素晴らしいの一言に尽きる。途中までまるで『オン・ザ・ロード』のような雰囲気を醸し出しつつも、ノートブックの章ではオーストリアをめぐる第二次世界大戦の状況を様々な登場人物から語らせつつ、動物園破りの計画もまた臨場感たっぷりに描かれる。そして計画が実行に移され、青春に終焉とも言いたくなるようなガレンとの別れ……そういった様々な要素が、フルコース百回分程度には並べられていて、読み通した後かなりお腹いっぱいになる。この満腹感は、小説を読むことでしか得られないことは確かだと保証したい。


スーザン・ソンタグ『イン・アメリカ』

ファン待望の邦訳。

元ネタは、Helena Modjeskaというポーランドの女優が米国に渡って大成功を収めるという実話にもとづいています。アメリカと言っても、西部開拓時代の話なので19世紀末を舞台にしていると言ったらいいのでしょうか。このHelena Modjeskaという人は日本語ウィキにはあまり記述がなく、英文でも米国に渡って一時的にカルフォルニアでユートピア的な共同体の創設を目論みながら「失敗」し、舞台女優としてアメリカでのデビューを果たし主にシェイクスピア女優として名声をほしいまにしていく……というところまでは小説そのままで、そしてその後は大きなドラマがあるわけでもなく、アメリカの地で68歳の生涯を閉じます。

小説は、アメリカでの成功を描くところまでで終わっているので晩年の記述は全く無いのですが、やはり同じようにアメリカという異国の地で作家として成功していったソンタグ自身と重なるところがあり、異様なまでに感情移入し、あるいは「アメリカで成功する」事の意味を一人の女優を通じて考えたかったのかもしれません。もちろん作者は前書きできっちりとフィクションだと釘を差すのですが……。

ポーランドという国が考えさせることというのは、今も昔も大きいというのもあるのかもしれません。本書でもショパンは繰り返し出てきます。そしてもうひとつは国際語という使命を帯びた「英語」という言語に対するコンプレックス。このふたつがからみ合って、「アメリカで成功する」ということの意味や是非を小説という形式を通じて考えていくというのが、まずは一読した限りでは本書の特色ではないかなと。人種の坩堝として、一つの国家として呼びがたいアメリカという「共同体」の中で英語で成功するというのは、それもポーランド人が「なまり」のある英語で成功するというのは、ある意味で日本の芸能界でも外国人タレントが重宝されるのと同じ構図なのかもしれません。厚切りジェイソンを日本人がやっても全然面白くないのと同じ。その成功は果たして「アメリカ」という国において「アメリカ人」というフィクションの中で成功することすら拒まれた一つの珍事にすぎないのではないか、というのが最後まで頭を離れない疑念です。そしてそれは、クイーンズイングリッシュを頂点とするイギリスにおいても事情は同じで、だからこそ女優はシェイクスピアにこだわり、イギリスでの成功に最後までこだわった、でもその時点で「国際語」としての「英語」ではなくて「英語」としての「英語」という枠にハマってしまっているんだよね。舞台って音声だから、本当にこれは難しいと思う。ソンタグはまだ書き言葉を主戦場としていたけれども、同じような葛藤は感じていたんじゃないのかな、とついつい勘ぐってしまう。

途中出ててくる写真家のおばちゃんが面白い。唐突に出てきて写真論をぶつあたりは、ソンタグ女史の小説ならではという感じ。


ハチクロ──芸術と実生活

何年ぶりかわからないが、ハチクロのアニメーションのDVDを全部見た。昔、まだ独身だった頃にボーナスをはたいて買い集めたやつだ。二、三回見て、そのままあんまり時間もなくて、本棚の肥やしになっていた、というのが実際なのだけれど、でも漫画本の方はもう何回も読みなおしていて、その原作にも忠実なアニメーションだったし、声の感じもわりとイメージ通りだったということもあって、結果として頭のなかにいろいろなセリフが音声として残っている。それをなんとなく確認したかった。本を読むのはつかれる。読まないといけない。アニメーションは見て、聞いて、その揺籃の中に身を委ねればいい。何度も頭のなかで再生したセリフが、役者の声を通じてもう一度刻印される。

それにしてもぼく個人の中でも息の長いというか、読み返し、見返してもやはり飽きない、汲み尽くせないものを未だに持っている作品です。二十代の頃はやはり登場人物たちの恋愛面にばかり目が行って、「はぐみ-森田」の関係をなんと呼ぶべきかとか、なぜ真山だけが成就して「大人になっていくことを恐れない」人物として描かれているのかとか、そういうことにばかり頭を使っていましたが、そこを過ぎて改めて見返すと、随所にちりばめられているのが「金」というテーマであるようにも感じました。夏目漱石の小説バリに、経済問題についても深い問を投げかけてきます。

もちろんそれは森田馨のつぶやく「クリエイティブな人間の需要がそんなにあるようには思えない」というあまりの正論に対する手を変え品を変えの攻防なのかもしれません。前にも書いたかもしれませんが「芸術系」の中ではある意味で現実と直結している「建築系」(あるいはそこに結果として食い込んでいった陶芸科も)は、まずもって「仕事」として成立している世界へ乗り込んでいけばいい。ある意味で真山と森田は芸術系大学という同じ場所にいながら見えている世界は清々するほど違っていて、違っていていいのだ、という結論なのかもしれません。けれど奇しくも、真山の金に対する「ポリシー」は、はぐの手術費用を投げつける森田と共通するものはあったのかもしれません。そこがまた面白い。

問題はやはり「はぐ-森田」系列の「金」に対するアプローチで、はぐは賞のために絵を描くことを途中でやりかけますが、森田に見事に見破られたことでスランプに陥っていく。この世界は、まるで凡人のぼくには想像することしかできない世界ですが、あるいはピカソのように自分の最もやりたいことをやるために世俗的な成功をまずは手に入れるという方便も、もちろんそれができるのであればそういう道も否定されないと思います。花本は、それをギリギリのところで許容した。けれど、森田はある意味で受け入れることができなかった。なぜ? 金の亡者のようでいて、だからこそやりたくないことで金を儲けるということに対する「芸術家」としての耐えられなさを教えたかったのかもしれません。そしてはぐもまた、それをするには人生は短すぎると気がついていく。

いやしかしあらためて(引用しないけど)真山のセリフはすごいね。花本も同じラインに最後は立つんだからね。男にとって金ってそういうものなのかな。男にとってお金を使うっていうのはね。


岩本ナオ『金の国 水の国』

を、読みました。

最新刊が出ていることをつゆ知らず、ひさびさにネットで検索してみたら出てきたので早速買ってきました。少女漫画の単行本にしては分厚いサイズで、読み切りです。そしてまたしても「少女漫画」をアップデートしてきました、本当にこの作者はすごい、の一言につきます。

トルコかアジアか、あのあたりを思わせるA国とB国とが婿と嫁を互いに差し出し(素直にそうなっているわけではないのですが)、最終的にいがみ合っていた2つの国家が結ばれていく、その有様が恋愛あり、権謀術数あり、また岩本なお独特の笑かしが存分に詰まった贅沢な一冊です。政治を題材にしてはいますが、一つ一つの出来事は人間と人間の関り合いであることは徹底されていて、そして、この作者のすべての作品に言えるようにスーパーヒーローなんて人物は一人もおらず、お互いがお互いの足らないところを補い合ってお互いの幸せを追求していく、その健気な人間の姿が胸を打ちます。そしてそれは国家と国家の関係においてもまた、同じことなんですね。

『イエスタデイ〜』に出てきた名前忘れましたがほんわかした太った女の子を髣髴とさせる主人公と、ナランバヤルもまたこの作者の好んで描く男性像の一つの典型なんだろうなあ、と、岩本ワールドにしみじみとひたれる一冊。登場人物も、世界観も、いよいよと幅が広がっていきます。次回もとても楽しみにしています。