カフカ小説全集『掟の問題ほか』

を、読みました。全集としては最終巻であり、これでカフカの全ての小説を読了したことになります。

謎めいた世界と、今なお多くの作家に影響を与え続けるその源泉にどっぷり浸かれたのは全集ならではです。

最終巻はノートに残された手稿を収めた二巻目になりますが、中でも「巣穴」は病魔との戦いを思わせます。あるいは、三好十郎の「胎内」のような。


サブカルがメインカルチャーになってしまったおかげで従来のハイカルチャーがむしろサブカルになっている。

例えば高校生位の男の子が森鷗外とかゲーテとか好んで読んでいたら、それはやっぱり「特殊な趣味」と見なされるんだろうな。

でも、だからこそそういう人は初めて色眼鏡を外して文学と対峙できるんだと思う。

あとぼくたちにできるのは若い人達に、そういうものとのアクセスがしやすい場を整えておくこと、あるいはきっかけを与え続けることの労を惜しまないこと、なのだろうか。

いい時代になったと思います。


池内紀『カフカの生涯』

を、読みました。

伝記というのはほとんど初めて読みましたが、抜群に面白かったです。カフカは作家ではありましたが、生前から評価が確立していたわけではなく役所勤めをしながら体に鞭打って小説を書き続け、一部の作品は刊行されましたがそれで食べていけるというほどにも至らず、最後は結核を患ってサナトリウムで亡くなります。

一貫して「書くこと」を最優先にしてきた彼のスタイルには、強い意志を本当に感じます。30代にいくつかの失恋の痛手を受けるのですが、結局それも結婚生活を営むよりも自分の創作活動を優先させたいという逡巡があったからこそなのでした。

そういう、今風に言えば決してコミュニケーションが得意というわけではない(父親との確執!)一人の偏屈な男がこだわり続けて書き上げた不思議な作品たちが今こうして読めるというのも、本当に奇跡のようなものです。

個人的には文学作品を評価するのに作家の私的生活をほじくり返して「ここにはこういう背景がある!」みたいな下手な作家論的アプローチは好きではないのですが、カフカの生涯に触れて、こんな不思議な男の書いたものを読んでみたいというのも、これはこれで充分にアリだなと、思わせてくれる評伝です。


スーザン・ソンタグ『サラエボで、ゴドーを待ちながら』

を、読みました。

「WHERE THE STRESS FALLS」の邦訳二分冊目です。こちらはダンス、オペラ、写真、そして邦題にもなっているサラエボで「ゴドーを待ちながら」を演出した際の記録まで内容盛り沢山です。それでも、彼女がそれらの素材を通じて主張していることは終始変わらず存在します。ですから、過去からの色々な著作を読んで、自分の知らないいろいろな作家の存在を知るにつけても、それは決して百科全書的な知識などではなく、彼女のラディカルさという一本の幹にきっちりと支えられていることを感じます。その審美眼、ポリティカルコレクトネス、女性蔑視への飽く無き抵抗。力強い言葉によって揺らぐことのないそうしたスタイルは、本当に明日への希望を持たせてくれます。

これで絶版含め邦訳で出版されいるソンタグの著作をすべて読み終えたことになります。みすず書房からの刊行という意味では当翻訳が最新で最後となるのでしょうか? 河出からは彼女の死後に出版された日記類のアンソロジーの、その「あとがき」によれば三分冊のうちの一冊目だけが刊行されていますので、残り二冊が待ち遠しい限りです。それから小説「In America」が未邦訳でしょうから、みすずとしてはこちらをぜひ出して欲しいと思います。まあ、原書買って読めっていう感じもこれありですが……。


【小説】書き損じ冒頭集

 フラグメンツ・硝子・グラス、のように、(あるいはこういった言い方が許されるのであれば)のような光。
 芥川龍之介の顰に習って、けれどぼくの硝子は磨耗している。人を傷つけることもなければ、(その技術によって)自らを満足させることもない。けれど、幾多の遊びに付き合わされて無数の傷を負ったビー玉の、手沢を帯びた輝きの美しさを歌ったのは詩人ではなかった。
 

    ◯

 ぼくはただただ、新しい物語を書きたかったのだ。書きたかったのです。その「新しい」というのは、いつまでもぼく自身がぼく自身を振り返りながら、つまり後ろ向きに前へ進むなんて形容をしながらも、さてその「前」というのが厳密にはどちらの方向を差すのか結局わからないままに、そのままに、その勢いだけでこうして文字を打ち込んでいく営為を、とにかく辞めてしまいたかった。けれどいくなり太宰治の成り切って「小説を書く小説」なんてモノし始めても、誰も読みはしないだろうし、そもそもぼくはそんなモノに「新しさ」を感じないのだ。
 たぶん、この文章を読むあなたはこの文章がこうしてノートパソコンの前に座る一人の男がせこせことキーボードを打って生成されているということにまで想像力は働かないかもしれない。もちろんそれでいいのだ。小説というものは、作為を感じさせたところで失敗する。だから、やっぱりこのドキュメントをもし小説と呼ぶのであれば、やはり小説を書く小説と言わざるをえないかもしれない。よろしい。このくらいで切り上げよう。

    ◯

 いや、うん、これでいいんだよ、と洋平が言う時は決まってよくないに決まっている。左斜め上を見ながらコーヒーカップを前歯にぶつけている彼の様子を見ていれば、そんな大層な法則にしなくたって誰でも勘付くに違いない。私たちは大抵のことは合意の上で物事を進めてきたのだけれど、この結婚についてだけは意見が違うようだった。目の前に広げられた婚姻届を前にしてなおも私たちは合意に至っていない。この結婚というのは、私たちの結婚のことではない。議論の焦点は、証人欄に私たちが署名していいものかどうかだった。
「よくないでしょ。いくらなんでもあの二人が結婚するのを私が『はいそうですか』って容認するとでも思った? こんなこと頼んでくる方もオカシイけど、どうして洋平までほいほいと引き受けてこんな紙もらってきちゃったのよ?」
 チェーンのファミリーレストランとはいえ、少し目立つくらいに声を張り上げて私は言ってやった。
「悪趣味」
 本当にそう思う。こういうことを平気でやる人間なのだ。

    ◯

 空から音符が降ってくる、という言い方は滑稽だと思った。でもあいつはそういう表現をした。ガラスで出来たピラミッドが逆さまに転んで、それを下から見上げていると、空から下りてくる雪は静かに音楽を奏でているようも見えなくはなかった。私は幸せで胸が潰れそうで、その圧力をあいつの手にぎゅっと伝えるしかなかった。それが三年前の話だ。
 三年の間に私は厳しい冬景色しか知らなかった故郷を離れ、

    ◯

 小説を書くのなんて簡単だ。誰も書いたことのないことを書けばいい。誰の真似もせず、誰も書いたことのないスタイルで書けばいい。だから次の一行を書くにあたっては何も参照せず、誰も見たことも聞いたことのない文字の組み合わせによって物語を構築していく。あらゆるクリシェ、あらゆる予定調和を排除していく必要がある││といったことが、既に一つのパターナリズムであることを、ジレンマなどと仰々しい単語で表現すること、そのことがまさにクリシェなのだ。
「だから、もうぼくたちに書かれるべく残されたものは何も無いんです」
「いや、その『だから』の使い方はオカシイだろ」

    ◯

 「写真はイメージです」というのが同語反復にしか思えなのだけれど、日本語で言うところの「写真」にはやはり「真実を写したもの」という漢字に引っ張られたこのテーションが色濃いのかもしれない。だから例えばワサビ味のお菓子のパッケージに「本物」のワサビの写真が写っていたらそれはあくまでも「ワサビ味」を代弁する「偽物」であって、決してワサビそのものがパックされているわけではない。だからこの場合の「イメージ」という言葉には「偽物」の臭いがする。臭いをさせているというべきか。

     ◯

 角に出来た新しいカレー屋の二階に住んでいると男は自己紹介した。俺の部屋に一度でも来てごらんよ、いくらなんでもひどいよ、いくらのカレー好きでもカレーが嫌いになっちゃうよ。たしかに彼の髪の毛、着ているティーシャツ、あるいはスニーカーの先にいたるまで、カレーの臭いをただよわせている。私はそのカレー屋の前で交通事故にあった。カレーのいい匂いにつられて自転車をこぎながら目をつぶって鼻から息を吸い込んだのがいけなかった。次の瞬間にがんと頭を打たれたような衝撃が走って、視界は真っ暗になった。少しだけアスファルトの地面が視界の端に変な角度に写って、自分の腕が血に染まるのを体温で感じた。知ってる? 身体から血が沢山流れだすとものすごい寒気を感じるんだ。でも打ったところはじんじんと痛くて、痛くて熱い感じがした。ああ、身体が悲鳴をあげるってこんなイメージなのかなって……思ったときにはもう何も感じなくなっていたと思う。意識がシャットダウンされて、そういうのって本能なのかな、耐えられないくらいの痛みに対する。

     ◯

 友だちにもらった万年筆は置いてきてしまった。

     ◯

 東京の方角に向かって兎を放った。たぶん、東だからあっていると思う。自信はないけれど。それはささやかながら汐音ちゃんに対するプレゼントのつもりだったんだけど、もちろんそんなことしたって伝わらないような、伝わるわけ無いよなあ、そあだよなあ、と考えていたらちょっと淋しくなってわざと泣きたいような気分になった。もちろんぼくは女優じゃないからそんなことはできない。

     ◯

 町で唯一の墓地の向こうに高圧電線を渡す鉄塔が建ったとき、私のお父さんはずいぶん驚いたらしい。驚いて、けっこう反対運動にそのあとズルズルと身を投じてしまったらしい。できてしまったものに反対したってしょうがないのだけど、たまに来る電力会社の人とか、県庁の人とかに対してなにか長い手紙のようなものを渡す程度だったらしい。でも、それだけでも、狭い私たちの世界の中では充分に目立つ出来事だったらしい。
 次に、風力発電の大きなプロペラが立ち上がった。何も無い雪原の向こうに、鉄塔のすぐ横と少し離れた場所にもう一つ。朝起きたらいつの間にか景色が変わっていたから私は驚いたのだ。そして間もなく私たちの学校に新しく体育館が建つという噂が流れてきた。私は学校帰りによく田んぼの真中に立ち止まって、鉄塔と風車とを眺めてはその風景に自分をなじませる努力のようなものをした。それはただ、ひたすら立ち止まって眺めるということでしかなかったのだけれど。
 細かい雪が道路の先の先の先まで待っていて、上も下も分からなくなったのだけれど、ただ引き続く道路だけがぼくたちに北の方角を指し示してくれる。ガソリンはもう少しで切れそうだ。だけど行けども行けども明かりが見えてこない。ぼくたちは走り続けるしかなかった、力尽きるまで、ただひたすら。

     ◯

 以前勤めていた会社の近くをたまたま通りかかったとき、あまりにも寂れていて驚いた。その会社はそこそこ大きくて潰れたときは新聞の一面にも載るくらいだったのだけれど、そのあと新しいテナントは入らなかったようだ。見上げると、蛍光灯は光っていなくて、代わりにバラバラになった書類だとか壊れた椅子の背だとかが覗く。一瞬、世界がモノクロになったような気がした。赤も青も黒くなって、黄色もピンクも白になった。あの時、毎朝毎朝いやだなあと思いながらも有楽町線に乗って通っていた。大抵の人は同じようなことを考えながらそれぞれの通勤路を往復していただろう。それがある日を境に何にも無くなってしまった。場所はあるのに、人はいない。あそこにあったのはやっぱり、あの一瞬集まっていた人たちのつながりだったんだよなあ、とぼくは思う。まあ、今さらそんなことを思ってこたところで何も始まらないのだけれど。

     ◯

 でかいトートバッグを肩に担いで、青山通りの気取った本屋で立ち読みというかそれは写真集だったからほとんど座り見だったんだけど、そういうことをしていたら「あなた、その本に興味が有るんですか」っていきなり声をかけられて振り向いたら店員なのかと思ったけどどうもそんな感じもしない(名札とかエプロンとかしていない)から自分がかけられた言葉よりもまずこの状況がよくわからなくて、私は相手の、まあ私と同じくらいの年格好の男の顔をまじまじと眺めてしまった。このつまらない物語はこういういくぶんスタイリッシュとは言えない状況から語れ起こさなければならないことに私は実は憤りを覚えている。ムカついている。

     ◯

 うん、わかる、わかるよって言っても君は多分分かってくれないんだろうな。でもなんで未婚の君が左手の薬指に指輪をしているのかって聞いたら私は左利きだからっていうの説明もどうかと思うよ、みんなそこまで君のこと知らないよって言ってもまあ指輪してるってことは君のことをもっと知っている誰かがさ、ぼくの他にいるってことだからまあ関係ないといえばそれまでなんだ。でも、眼の前でそうやってドムドムバーガーの大して美味しくはない薄いジンジャエールを飲みながら、ぼくがいつか青山のゴシック系のメゾンで買ってあげたジャケットを羽織っている姿を見てしまうとさ、時間がどれくらい経ったかなんてどうでも良くなってしまうんだ。あっ、それはぼくだけ? もちろん。でも君は飲み終わった紙コップをベンチの上に置く。ジャケットを脱ぐと、柔らかなシャツの下の膨らみが白い光線のもとにあらわになる。あるいは、そのくぼみに挑発する高低差を思い知らせるかのような暗い影が載る。ああ、わかるかな。わからないかな。うん、わかってほしいんだよな。

     ◯

 波を、フレームに入れる。

     ◯

 彼女はけっこういいセダンに乗っていた。ふだんからあまりヒールを履かない女の子だった。だから恭子の結婚式の時にも、さっそうと地下の駐車場からエレベーターに乗って登ってくると「どこか着替える場所はないの?」と、眠たそうな目で受付の手伝いをしているぼくのところへやってきてそう言うのだった。

     ◯

 テレビを捨てていくなんて、信じられない。今時、しかも、私の部屋の前に。朝会社に出かけるとき、扉を開けたらガンというものすごい音がして扉の外側がその異物と衝突した。そいつはよくおばあちゃんの家なんかで現役で活躍しているガチャガチャとつまみを回してチャンネルを合わせるやつだ。赤いプラスチックで周りをおおわれていて、私ははいている今日おろしたての赤いスカートの色とあんまりにもそっくりだったからいっそのこと着替えて出直そうかと思ったくらいだ。

     ◯

 そういえばあったね、そんなこと。どこだったっけ? すごい、屋上じゃなくて……ビルの展望台みたいなところで。分厚いガラスの下に新宿から渋谷までずーっと見渡せた。いい天気で、いい天気過ぎてこっそりかばんの中に忍ばせていたハイネケンをさ、窓際に腰掛けて外を眺めながら二人で飲んだんだよね。私、あの時ちょうど……前の彼と別れたばっかりで、君とは良い距離を保ちたかったんだよ。急にそういうのとかって、まあ一応私だった女だからさ。うん、おぼえているよ。いつだったかは忘れたけれど……。

     ◯

 冬だから、窓際でコーヒーを飲もう。さっきマーク・ジェイコブスで買ったお気に入りのワンピースは、白くて大きな袋の中で新しい生地の匂いをビニール袋の中に充満させている。私たちは、白いソファに座って白いテーブルの上で白い光を浴びて、店員がコーヒーのオーダーを取りに来てくれるのを待つ。

     ◯

 昼間に行ったんだけど、閉まっていたんだよ。閉まっていたっていのうは、その時たまたまお休みだったっていうことじゃなくて、もうつぶれて店じまいになっていたっていうことなんだけどね。仕方がないから君はアプローチの階段に座り込んでブーツを脱いでしまう。

     ◯

 笑いながら誰かと思えば紀子だった。片方の手を口に当てて笑いをこらえ、片方の手は冬だというのにホットパンツのポケットに突っ込んでいる。

     ◯

 君が出かける後ろ姿を最後に見たのはいつだったろうか。ぼくの部屋にはまだ赤いソファが残っている。その前に君は立って髪の毛をなんども手でいじっていた。細い鎖でつながれたハンドバッグを肩から下げて、黒いシックなドレスを着ていた。それは、夏の出来事だった。

     ◯

 古物商の店頭に若い女の子が座っているのは奇妙に思える。でも、60年代にはそういうダイヤル式の重たい電話や一文字打つのにものすごく騒がしいタイプライターを、君みたいな若い女の子が操っていたのだから、その違和感は極めて単焦点的なものだ。もちろん最近はやりのレトロ趣味にかぶれて、あるいはかぶれすぎて君がそんなところに座っているとは思わないけれど。うん。それじゃあ、ぼくはなんと声をかけたら良かったのだろう?

     ◯

 クルマ一台あればどこへでも行けると思っていた。どこへでも、というのは人のいないところへという意味だ。でも、車をずっと走らせるにはどこかでガソリンを入れなければならない。同じ意味で、ぼくたち人間もどこかでパンなり牛乳なりを買わなければならない。


スーザン・ソンタグ『書くこと、ロラン・バルトについて』

を、読みました。

彼女の文体に触れるにつれ、いつも思うのは「世界文学」と言ったときの「世界」ってなんなのだろう? ということです。この本の中は例えばグーグルで(日本語の、カタカナで)検索しても一件も引っかからない作家、詩人が出てきます。けれど彼らが英語圏では抜群に著名で、誰もが邦訳の待ち望む存在であるかというとそういうわけでもない。英語圏でも、もっと読まれるべきだと彼女は主張している。だからソンタグ自身、「英語圏」と「世界」文学とを厳密に区別しながら論を進めているのです。そこにこそ、読むものとしては彼女の審美眼に絶大な信頼を置きたくなる所以でもあるのですが。

マルケスはたしかに「発見」されたのかもしれません。ボルヘスも、あるいはコルタサルもスペイン語で書いたのです。だからこそ彼らは「ラテンアメリカ文学」というある種のブームに見出されたという面も否定出来ません(その文学的価値がそれによってそこなわれることは決してないにせよ)。もちろんぼくたちが今『百年の孤独』をいくつもの邦訳で読めるというのもその恩恵というものでしょうが、そこに連なるべきブラジル出身ながらポルトガル語で書いたマシャードの作品で今邦訳で手軽に読めるのが光文社古典新訳文庫の『ブラス・クーバスの死後の回想』だけだということにもっと思いを馳せなければならないのかもしれません(というか、光文社古典新訳文庫のセレクションに改めて舌を巻きました)。

大学時代、日本は例えば岩波文庫などで古今東西の名著が邦訳されていて自国語だけしか操れない人間にとっても学問への道が豊かに開かれている稀有な国であるということを言われたことがあります。同じレベルをこの先も、この先の文学を愛する人達のために翻訳家の皆様には繋いでいって欲しいと思います。「世界文学」というのがどこまで行っても一つの理想であり、概念として解決されるものではないことは百も承知ながら、そこに向かっていく叡智というのは、相変わらず人間同士でしか作り上げ得ないものだと思います。


自分の身体を守るために

5/2は会社に行ったのですが、朝から何となくお腹がしくしく痛むので会社についてからコーヒーでなんとか誤魔化すも、11時くらいになるともうこれがどうにも我慢ならないくらいの痛みに盛り上がってくるので午前中で帰ることにしました。以前から半年に一度くらいは6時間くらいしくしくと胃腸を針で刺されるような痛みが続くということが定期的にあって、大抵はストレスの溜め込みによるものです。

そのたびに薬を飲んでみたり、辛いものを控えてみたり、飲むヨーグルトを摂取してみたりはするのですが、根本の生活スタイルが改まらないのでいつの間にか仕事に追われて一日のうちでようやく初めて口にするのが夜八時半のコンビニおにぎりなんて生活に逆戻りしてしまいます。

しかし本当に何とかしなければ……さすがに以前のようなむちゃくちゃな無理が睡眠だけで解消されるような年齢でもないようです。