土日で一気に読み干す。
これまで村上春樹の個々の作品で語られてきたキーワードが全て詰まっている。初期の作品からねじまき鳥まで作者が一貫してこだわり続けている「入口─出口」の比喩や「こちら側─あちら側」の構造は相変わらず健在。冒頭に音楽が出てくるのは『ノルウェイの森』的か。形式としては『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』同様、二人の主人公のそれぞれの物語が同時に進んでいく。しかし最後まで二人が言葉を交わすことはなく終わる。その一歩手前で物語は突然終わる。
豊かなイメージと思わせぶりな擬人化を整理することはどこかの研究者に任せておくとして、この作品で新しいのは『アンダーグラウンド』を改めて消化しようとしている点だ。「赤軍派からオウムへ」などと副題を付けたくなる。事実、山梨県に本拠地を置く武装的宗教法人が登場し、そのほかにもエホバの証人やヤマギシ会を想起させる団体が登場する。しかしそれらは決して作者の動かす駒のように都合よくは振る舞ってくれない。宗教というテーマに対してぐいぐいとその内側に切り込んでいく。もちろん「わからなさ」は「わからなさ」としてきちんと残していきながら。
これまで『アンダーグラウンド』をなぜ小説家である村上春樹が書いたのかという問いは幾度となく繰り返されてきた。そのひとつの答えがこの小説に一端として結実している。あるいはチェーホフとサハリン島との関係性において。
おそらくは作者はこのテーマを小説に軽々しく持ち込もうとは思っていなかったはず。『アンダーグラウンド』以降で作風は初期のセンチメンタリズムをどんどん失っていき、骨太な物語が前面に出てくる。「ねじまき鳥」は第三巻がはっきり言って「ついていけない」感じであったけれど、今作はある意味でノルウェイの森的なリアリズム文体を意識して書かれているためか、突拍子もない展開も割とすんなり読める。脂の乗りきった筆致だからこそ宗教というテーマにも地に足ついた語り口で読ませる。
作者が以前から主張する「総合小説」にまた一歩近づいていっているのでしょうか。今後この作品をめぐってどのような批評が現れてくるのかわかりませんが、少なくとも今読み終わって思うのはこれまでの作品の集大成でありかつまたこだわり続けている謎は謎のままなおもある、といったところでしょうか。
あわせて高橋和巳の『邪宗門』も読んでみると面白いかもしれません。これは大本教に材を取った作品です。