月別アーカイブ: 2008年11月

青山七恵『ひとり日和』

去年の「文藝春秋」を引っ張り出してきてやっと読んだ。珍しく石原慎太郎が芥川賞選評で褒めている。

会話のテンポが独特でいい。たぶん、人間ってこんなもんだろうと思う。そんなに深いことを長々としゃべったりは、しない。淡々と進んでいく四季が、心地よい。でもちゃんと小説だ。

「あたし、こんなんでいいと思う?」

というラストシーン近くの台詞が全てを引き締めている。この一言で、この小説は毅然と立っているその地盤をきっちりと固めていると思う。

「吟子さん。外の世界って、厳しいんだろうね。あたしなんか、すぐに落ちこぼれちゃうんだろうね」
「世界に外も中もないのよ。この世は一つしかないでしょ」
 吟子さんは、きっぱりと言った。そんなふうにものを言う吟子さんを、わたしは初めて知った。その言葉を何回も頭の中で繰り返していたら、自分が三歳の子どものように何も知らず無力であるように感じられてきた。

机を買い換える

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今まで使っていたガス圧で高さが変えられるテーブルの天板がゆがんできた、かつガス圧周りのプラスチック部品が壊れたので買い換えました。

とりあえずOFF HOUSEへ売りに行きましたが800円にしかならず(泣

んでもって、もう同じタイプのものは買うまいと思い、そしてもうさすがにこの部屋の広さだと椅子に座って・・・というのも無理かなと思い、ガラスのセンターテーブルを買いました。

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これのブラウン。

大きさも小振りでなかなか良いです。やっぱりガラスだと透明なので威圧感がないですね。

読書読書読書の三連休

フランツ・カフカ『失踪者』
レム・コールハース『コールハースは語る』
西沢立衛『建築について話してみよう』
東京大学建築デザイン研究室『建築家は住宅で何を考えているのか』
大橋禅太郎・雨宮幸弘『秘伝すごい会議』
保坂和志『〈私〉という演算』
河合隼雄・吉本ばなな『なるほどの対話』
小川洋子『密やかな結晶』
小川洋子『ブラフマンの埋葬』
小川洋子『やさしい訴え』
小川洋子『ホテル・アイリス』
堀江敏幸『雪沼とその周辺』

小川洋子はあと一冊で文庫で出ているものについては読破。堀江敏幸はこれからもっとも読みたい作家。保坂和志は新刊も実はまだ未読。はやく追いつきたい。都市論・建築関係も興味は続いています。大体現代で有名な日本の建築家の名前は頭に入りました。

結婚式月間終わる

昨日今日は水戸にて同期の結婚式出席。
これはもうほんといろいろと(ry

眠すぎる中、JUSCOに行ったら「新潮」ゲットできました。

明日からは死にたくなるくらいの仕事ウィークですので…。

「新潮」12月号

くっそー、どこにも売っていない。
オンライン書店ももはや全て売り切れ。。。

誰か奇特な方、取り置きしておいていただけませんか。
田舎暮らしをこれほど呪ったことはないよ・・・。

休日哲学

「あー、休みたいなー。今すぐ帰りたい」
「休んでどーすんの」
「は?」
「休んでなんかやりたいこととかあんの?」
「ない」
「ないのかよっ」
「いや、そうじゃないんだ。俺の『休みたい』は結局の所、『会社に行きたくない』の謂いなんだ」

浅野いにお『世界の終わりと夜明け前』

新刊、『世界の終わりと夜明け前』さっそく賞味。

この人の描く世界観、というか一コマ一コマに描かれる東京の風景が、どうにもくせになる。登場人物たちの年代とももろにかぶるし、彼らの思い描く「あったかもしれない今」の光景が、自分の憧れていたものとも重なる。余計に、染みるのです。

話はずれるようなのですが

よく都市論とか街作りの本を読んでいると「電線不要論」に行き当たります。電線が景観を破壊している、地下に埋めろ、国や地方自治体は金を出せ、あれはそもそも戦後の再興時に仮で架けたものだからいつまでもそのままにしておくな──というわけです。

でもぼくは電線、好きです。なんにもない空を電線が走っていると、そこだけ空を区画しているみたいで妙に空間に立体感が出てくる。遠近感のないただの青の世界に、電線があるだけで人びとの生活の息づかいや電車の走る音が、そこから聞こえてきそうになる。

子どもの頃、祖母の家に行くのに横浜線を端から端までよく乗っていたのですが、座席に膝をついて外を眺めていると電車が走っているすぐ横を走る電線が、たわみの底と電柱との間でぶらんぶらんと上下に揺れるように見えるのを眺めているのが好きでした。(あの、まさにチャットモンチーの『世界が終わる夜に』のPVのような感じです)

何もない空間、というのが怖いのかもしれません。

何もない、ということが目の入ってきてほしくないのかもしれません。

例えば白、という色が好きなのはそれを白のまま取っておくためではなくて、その白に何かを塗りたくりたいから、単にその欲望のことを言っているのかもしれません。でも立ち止まって振り返ると、あんなに輝いていた光はもはやくすみ、白だったものも白かどうかもわからなくなり、一体この影を黒と言っていいのかどうかもわからなくなる。それは色なのか、光なのか。

浅野いにおのまんがは、光と呼ぶのだろう。そして夜明けの光がもう一度訪れるということも、きちんと付記してくれる。