浅野いにお『世界の終わりと夜明け前』

新刊、『世界の終わりと夜明け前』さっそく賞味。

この人の描く世界観、というか一コマ一コマに描かれる東京の風景が、どうにもくせになる。登場人物たちの年代とももろにかぶるし、彼らの思い描く「あったかもしれない今」の光景が、自分の憧れていたものとも重なる。余計に、染みるのです。

話はずれるようなのですが

よく都市論とか街作りの本を読んでいると「電線不要論」に行き当たります。電線が景観を破壊している、地下に埋めろ、国や地方自治体は金を出せ、あれはそもそも戦後の再興時に仮で架けたものだからいつまでもそのままにしておくな──というわけです。

でもぼくは電線、好きです。なんにもない空を電線が走っていると、そこだけ空を区画しているみたいで妙に空間に立体感が出てくる。遠近感のないただの青の世界に、電線があるだけで人びとの生活の息づかいや電車の走る音が、そこから聞こえてきそうになる。

子どもの頃、祖母の家に行くのに横浜線を端から端までよく乗っていたのですが、座席に膝をついて外を眺めていると電車が走っているすぐ横を走る電線が、たわみの底と電柱との間でぶらんぶらんと上下に揺れるように見えるのを眺めているのが好きでした。(あの、まさにチャットモンチーの『世界が終わる夜に』のPVのような感じです)

何もない空間、というのが怖いのかもしれません。

何もない、ということが目の入ってきてほしくないのかもしれません。

例えば白、という色が好きなのはそれを白のまま取っておくためではなくて、その白に何かを塗りたくりたいから、単にその欲望のことを言っているのかもしれません。でも立ち止まって振り返ると、あんなに輝いていた光はもはやくすみ、白だったものも白かどうかもわからなくなり、一体この影を黒と言っていいのかどうかもわからなくなる。それは色なのか、光なのか。

浅野いにおのまんがは、光と呼ぶのだろう。そして夜明けの光がもう一度訪れるということも、きちんと付記してくれる。

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