よしもとばなな『サウスポイント』

買ってから忘れていて、ようやく通読。なんかどっかの喫茶店で新聞読んでいたら書評がでかでかと載っていて、ああそう言えばまだ読んでいなかったなと。

同じくハワイを登場させていますが前作の『まぼろしハワイ』ほどハワイのハワイ性に寄りかかりすぎていないところが(きわめて個人的な小説観の中では)よい。装丁も、カバー繊維質の薄い紙を透かして、本体のきれいな藍色がかすかに浮かび上がってくるのがとてもキレイ。物語としてもわかりやすくて引き込まれやすいと思う。

それにしても何がいいってこの作家のあまりの変わらなさにほれぼれする。

そのときは、自分の内側にこそ、全てをだめにするものがひそんでいるなんて思いもしなかった。自分が強くあろうとすればどんなつらいこともでもちゃんと通り過ぎていく、とは決して思えず、まわりの状況に振り回されて人生は決まっていくという無力な感触しかなくて、不安で、誰かに頼りたい気持ちでいっぱいだった。

というところとか

 なんで知らない家の台所で料理をしているのだろう、と思いながらも、料理を作ることは私を今に集中させた。〈中略〉このところずっと自分のためだけに料理をしていたから、人の分を作ることは久しぶりだった。
 突然台所に活気が生まれ、熱が開け放った窓から入ってくる夜風と混じり合って、夜の暗さがどんどん増してくるのと同じ勢いで、人の作り出す明かりが力を持ち始める。

というところとか、もう『キッチン』から引用しましたと言って紹介してもまったく違和感がないではないですか。同じことを何年もモチーフを替えながらも言いづけている作家を、ぼくはもっとも信頼します。

パトリス・ジュリアンとの共著『News from Paradise』(この本も何度読み返したことか…)にも出てくる地方都市の醜い資本主義の露出にたいするいたたまれなさも、『サウスポイント』にはかすかに顔を見せるのですが、もはや作者の視線はそれをあげつらうことではなくて、その中でいかに生きていくかという部分にフォーカスされているようにも思える。

ハワイのハワイ性(「癒し」って言葉を使いたくないだけよ)を絶対的に信奉するのではなくて、それをいかに日本のこの現代の生活の中で活かしていけるのかという部分の意見を小説に求めてしまう。邪道な読み方なのかもしれないけれど、典型的な郊外型地方都市に住むぼくとしては彼女の書く一行一行が倫理的に読み取れてしまう。

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