◇鷲田清一「『待つ』ということ」
打ちのめされ、矜持のかけらも潰されても、それでも待つ。これは一時のことだとして、待つ。戻ってきてくれる可能性になんの保証もないところでひたすら待つしかないとき、「わたし」は果てしなく続くようにおもわれるその時間を、いったいどのようにしてくぐり抜けるのだろう。
◇村上春樹「1973年のピンボール」
時折、幾つかの小さな感情の波が思い出したように彼の心に打ち寄せた。そんな時には鼠は目を閉じ、心をしっかりと閉ざし、波の去るのをじっと待った。夕暮れの前の僅かな薄い闇のひとときだ。波が去った後には、まるで何ひとつ起こらなかったかのように、再びいつものささやかな平穏が彼を訪れた。
◇嶽本野ばら「琥珀の中のバッハ」(『カフェー小品集』)
忘れ得ぬものが美しいのではない。忘れ去られたものだけが美しい。君が今は幸せか不幸せかなんてどうだっていい。僕にはもう、痛みでもなんでもないし僕の中の君の面影だけが必要なのです。〈中略〉実は雑草のように元気なのです。それがロマンチストの傲慢さというものです。
◇中野重治「歌のわかれ」
彼は袖を振るようにしてうつむいて急ぎながら、なんとなくこれで短歌ともお別れだという気がしてきてならなかった。短歌とのお別れということは、このさい彼には短歌的なものとのお別れということでもあった。それが何を意味するのかは彼にもわからなかった。
◇カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」
空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりはしませんでした。しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところへ向かって出発しました。