羽海野チカ『ハチミツとクローバー』

もう散々読んだのに、急に思い出した様に読み返したくなったのだけれど、やっぱり劇薬だ。この物語に対する言葉をぼくはまだ失っていないのかもしれない。いや、ただ、ひところに比べれば頭のなかはすっきりしてしまったというか、当時の問題意識というのはどこかへ消えてしまったのかもしれない。今これを読んでいて、これは結局花本修司の物語だったんではないかという気もしてきた。彼が、浜美を卒業し、教師としてまた古巣に戻ってきた時の様子は物語の始まる前の出来事だけれど、10巻では丹下先生の口から「出口を失くしてここで動けなくなっているだけに見えとった」と語られる。はぐみを連れて来て、修司はむしろはぐみを救おうとしていたのだけれど、救うことを通じて自分が救われ、そして図らずも窮地に陥ったはぐみを今度は救う役目を引き受ける。それは、恋愛と言っていいものなのかわからない。前にも散々書いたけど、森田との関係が恋愛にはならなかったように、修司との関係も恋愛のようでいた恋愛ではない、いやあるいは恋愛の先にあるものに一気に行ってしまったというべきか……。そして修司は浜美を去る。ハチミツとクローバーという物語は、それぞれの登場人物の中で引き続いて行くのだろうけれど、奇跡のような彼ら・彼女らが一つの場所にいたということ、一つの季節をともに過ごしたということの尊さを、書かれていないこの10巻の物語の前後に思いを馳せることで、今更のように感じる。ここに出てくる登場人物たちが再び同じ顔を揃えて一つの場所に会することはもうないのだろう。山田さんはもしかしたら野宮さんのところへ行くのかもしれない。竹本や森田はそれぞれの仕事を極めていく。そこにかつてあった揺らぎ続けた三角関係はなくなり、安定へと向かうのだろう。それはもはやはちみつとクローバーではないのかもしれない。でも、例えば三十代という季節は、それぞれがそれぞれのはちみつとクローバーを抱えていて、そして時々思い出したくなる頃なのかもしれない。なんのために? 自分を思い出すために。

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