神田秀樹『会社法入門』

を、読みました。

忘れていました、ぼくが大学時代に民法で「不可」を食らって以来、法学アレルギーに罹患し、文学の徒としてのアイデンティティーの確立へひた走ったことを。教職で採らなければならなかった「日本国憲法」すら試験を受けるのが恐ろしくて必死こいて勉強したことを。しかし……未だに「法律」を「勉強」することのそもそものやり方というか、モチベーションも含めてなかなかよくわからない、というのが正直なところ。憲法だってしょせん誰かが書いたもの、と、どこか斜に構えてしまう。それが小説ならこちらに引き込んで色々遊び倒す楽しみもあるのですが、法律の解釈ってまたちょっと違うでしょ……条文は七回読んでもなに言ってるかわかんなくてさ、判例があってさ、なんか多数決みたいにそれが市民権を得ちゃったりするんでしよ……。

しかし! あとがきになってようやく、膝を打ちました。

ゼロの発見にせよ、あるいは一七世紀の微積分革命にせよ、それは言語(数学言語)の革命でもあった。新しい会社法の条文は、二一世紀にふさわしいルールを書ききろうとしたときの日本語という言語自体の限界を示しているように思う。数学と同様の言語革命を伴わない限り、条文としてのわかりにくさは改善できないだろう。

もっと素人向けの新書を読み漁ってからまた戻ってこようと思います。

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