物語、保身、破壊

 「物語中毒者の記」にも書いたとおり(トップページ参照、更新しました)、日記という営為について思うところがあり、新しい日記レンタルが見つかるまでの間更新を中断します。
 ・なぜ日記を書くのか
 ・なにを日記に書くのか
 ・それを書くことによってどのような効果があるのか
 というようなことに非常に今、懐疑的になっております。
 就職活動中は、自己を対象化することが必要だったので自分の一日の行動を物語りなおす必要性がありました。日記としての質は、あのころが一番高かったはずだし、自分で書いたものを読み直すのも一つの楽しみだった。何より、書くことでたち現れる何かがあった。
 今は逆で、書く必要もないのに更新のために書く対象を探してくるようなところがあります。それは、ぼくのやりたいことではない。

 自分の身を守るなんてことはすごく簡単なことで、周囲を罵倒して単なる自信家になるだけでいい。急に世界が開けたような気になる。急にすべては自分のものであり自分の思い通りに行くと錯覚してしまう。その代償は大きい。そこで、その人間の変化は終わる。あとは死ぬだけ。もう死んでいるといってもいい。
 「自己否定ではなく、自己像の破壊」――これは大学一年のころ自分で考えてひそかに気に入っていた言い回しなんだけれども、まさに、それを今しなければならない、というところにきている。守るべきたいそうな自己なんてどこにもない。守りに入った時点で、それはもう不要なのだ。
 いつから、自分はこんなになってしまったのか、なんて、秋の日のため息をついている暇はないので、とりあえず「スタイリッシュに日々を」ひとまず未完のまま完結とします。

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