小林康夫『君自身の哲学へ』

を、読みました。

目次を見た時、この本は、他でもないぼく自身に読まれるために生まれてきたのだ、などと思ってしまいました。それくらい、ピンとくるキーワードに満ち溢れていたのです。「スタイル」「村上春樹の井戸」「砂の女」「カフカ、掟の問題」「変身物語」──それらは、かつてのぼくが悶絶するほど真剣に考えていた問題の周囲に飛び交っていた、つかめそうでつかめない答えであり、あるいはそれを示唆するヒントでした。

なによりも、ブリコラージュという自由についてのくだりは示唆的でした。自由の意味とは、自らに与えられた環境の中で、手近にあるものを組み合わせる遊びの中から、思わぬ収穫を得ることである──それは、自由を、すべての人々、すべての事物を自分の思うがままに操ることだと勘違いしている人びととは全く正反対の概念です。ブリコラージュの自由は、実際に誰にでも実践できる、ということが大事なのだと思います。遥か彼方の自由を夢見るのではなく、いまあなたのすぐ近くにある様々なものに目を凝らし、それを例えば全く新しい組み合わせでコラージュし(組み合わせの新しさこそが、今の時代ではクリエイティヴィティと呼ばれるべきなのだと思います)、その目的を度外視した遊びの中から思わぬ「出来事」を紡ぎだすこと。それは、いま、まさに今この場所から実現可能なのです。ぼくたちは自由なのです。これは、読んでいて、一陣のさわやかな風が頭のなかを吹き過ぎるような、そんな感覚になりました。

正直、小林康夫氏の業績についてはまったく蒙いぼくですが、語りおろしを元にしたからこそ、すっと心に入ってくる文章が、とても心地いいです。この著者にして、全くもって若々しいというか、若い人たちが読むべき本だと思いました。大和書房、さすが!

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