会社が休みでしたので久しぶりに展覧会をハシゴしてきました。
まずは上野、西洋美術館で「ル・コルビュジェと20世紀美術」。
そもそも西洋美術館の設計をしているコルビュジェの作品をその中で見ることが出来るという趣旨が面白いです。この展覧会では午前中をアトリエで、午後を設計事務所で過ごしたというコルビュジェの芸術家・画家としての面を存分に楽しめるという催しです。
とは言いながらも、パンフレットの記載の語句とは裏腹に印象は「多彩」とは少し違う。絵画、彫刻、版画と手段はいろいろと変わりますがモチーフの変遷はそれほど劇的ではありません。キュビズムのような画風の中に登場するのが静物から人物へ変わる、くらいのゆるやかな変遷です。そこに大きな意味を求めたくなるのもわかりますが、ここはむしろ「一つのことにこだわり続けた」と見たほうが正しいのでは? という感想。最新の美術界の動向に着目し、自らもその模倣を大量に行いながらロンシャン礼拝堂のような建築のキュビスムを実現したと見るほうが素直な気もします。どうなんでしょうか、建築はかなり門外漢なので好き勝手言ってしまいますが。
もうひとつ、「江戸東京」に必ずしもこだわらない江戸東京博物館にて「明治のこころ」。副題は「モースが見た庶民の暮らし」。
これは、面白かったです。1300円払って見る価値がかなりあります。
モースはさておき、彼がコレクションした明治の庶民の生活道具がふんだんに紹介されています。中には当時売っていた海苔や砂糖菓子の実物がそのまま残されていたり。台所道具や、お店の看板、化粧道具、瀬戸物、大工道具。美術的価値ではなくて当時の庶民の暮らしがどうであったかを忍ばせるものばかり。大工道具や花鋏なんかは今とあまり変わりません。道具としてのデザインが行き着くところまで行き着いた姿なのでしょう。写真もいろいろ展示されています。反物屋や草履屋などは今で言えば百貨店のファションフロアでしょうし、花売りのおじさんの笑顔がまたいい。
月並みな感想ですが、大量消費大量生産以前の庶民の生活道具は今と違って作りはしっかりしているし、なんども修繕されているし、30年とかそういう単位で使われ続けていたものです。そして子供の遊び道具に到るまでものすごい精巧です。夏目漱石や乃木将軍ではなく、明治の庶民がどのような人間観、世界観を持っていたのかはわかりませんが、そういう日常手にしていたものの質の高さを目のあたりにすると、間接的に人間というものが今よりもずっと大事に扱われていたんじゃないかという気にもなります、いわゆる変な人権意識のようなものではなくて、もっと生活実感として。