無題

人間の基準はどこにあるか。「ベースキャンプ」としての孤独。

少しばかりお酒を飲み過ぎ、いや、飲まなければ眠れない時刻だったので彼は久しぶりに「酔い」というものを自覚する。思考停止。それが導きだされた「解なし」という結末。眠りに逃げても、出口はある。朝。
少しばかりの寝坊。「日曜日は何時くらいに来るの?」という問に対して彼は「朝から行きます」と口先ばかりの返答をしていた、ことを思い出す。鳴らない電話。相変わらず胃を下しながら一杯のコーヒーを飲み、出かける。
昨日の迷いは色濃く、さらに色濃く頭の中に漂っている。ああ、いっそ、と、出口のない結末に逃れたいといういつもの癖が出始めるとまもなく地下鉄の駅であり、いつもと変わらない電車のあまりに空席の目立つ中へ何らの非日常性も感ずることなくドアの閉まる音、背中で聞く。 
12時に会社に着くとお昼を食べ、またお昼のコーヒーを飲む。何もしていないのにお金を使う。休日のオフィス街は近隣富裕階級のベビーカーでごった返す。アスファルトの上のアスファルトの上のアスファルトの上。高層マンションは次々と下劣で品性知性の欠片もなくただ佇立するばかり。横目に彼はそそくさと家庭の幸福を軽蔑している自分を幾分か安堵の思いで発見する。ああ、これは懐かしい感情だ、とでも言いたげに、最後のコーヒーを飲み干す。
四時間の労働。
夕方は寒い、中を、御茶ノ水の丸善。レジが減って代わりにどんな本が積まれているのかと思ったら、円周率をただものすごい桁数まで印字しただけの本が314円で売られている。何も買わず、暗い中を歩きまわる。同じ場所をぐるぐると歩きまわっている。これは比喩でもあり、比喩でなくもある。
これはなんだ?
しかし考えることに敗北せず、書くことよってのみ救われるということを、思い出しながら思い切り論理も倫理も無視してキーボードを撃ちまくる。
もう一度、初めからやり直したかったのだ……という稚拙な願望を堪えながら何百回目かわからない、その、引かれた白線にもう一度足をかける。on your mark.

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